親父の犠牲になって
僕は、ガス溶接の免許を持ってますので、
たまに会社で切断とかをやるのですが、
腕前は、下の下。
今日はその仕事をやる羽目に。
パンパンパンとはねるわ、火の粉が降り注ぎ、
背中に火の粉が入り、かちかち山状態。
不的確な人に免許を交付したら、ダメですよね。
ということで、今日からまた電車に戻ります。
1986年4月5日。
この日は家族で、何かの用事で、
母方(既に他界)の実家(中川区)に出かけたときのこと。
父は、母方の実家が嫌いらしく
(普段から文句を言っていた)
到着と同時に、
「息子が電車撮りたいって、譲らんもんで、
しゃあないで連れて行くわ」
自分をネタに、抜け出しました。
僕は母方の実家が好きでしたので、
心の中は、「何言ってんだ、クソ親父」
と思いつつ、連れ出されました。
カメラは、用が無くても常備していたので、
撮ったことは撮ったので、その時の写真を。
ここまで連れてこられました。
ちょっと遠いんじゃないっすか!?
初乗りの、三岐鉄道でしたが、
ほとんど記憶に残っていません。
この電車は、今でも走っているのでしょうか?
1往復しただけで、とんぼ帰り。
これは、見たことが無かったので、
記念撮影。今でも変わらない光景。
ここが母方実家の最寄り駅。
歩いて30分以上はかかります。
さては、なるべく遅く母方実家に着く時間稼ぎか・・・。
一番近いのは、地下鉄の高畑駅なのに。
ここでも足止めを狙って、父親が勝手な事を
言い出しました。
続きは、また次回。
今日はこの辺りで失礼します。