東京でオリンピックが開催されますが、
スポーツにあまり感心が無いので、
高額な観戦チケット関連の報道を見て
「そんなん、テレビで見ればいいやん・・・」
大坂なおみ選手の、世界ランク1位がかかった
試合を、悲鳴をあげながら
テレビの前で1人盛り上がっていたナゲーです。
ということで、引き続き
「日本国有鉄道(JNR)最終日」東京駅の様子を
ご紹介していきます。
壮大な東京駅赤レンガ駅舎を撮影し、
ホームに戻ってきました。
今度は中央線で「さようならJNR」を撮ります。
すると、もう停まっていました。
「さようならJNR」マーク付きの「201系」
運良く巡り会う事が出来ました。
当時、中央線は全て「201系」に統一されていました。
省エネ電車で登場した201系も
まもなく終焉を迎えつつあります。
車掌さんは、「車掌」と刺繍された
赤い腕章を巻いていました。
中央線ホームから、京浜東北線を狙います。
ステンレス車がほとんど無い時代。
とてもカラフルで、ホントに「映え」する電車が
たくさん走っていました。
オレンジ・水色・うぐいす色・黄色と、
目の前がパッと明るくなる色彩でした。
左側に立っている方は、高尾行きの車掌さん。
話しかけて来て下さいました。
「どっから来たの?」
「岐阜です」
「ほーっ、1人で?あの切符?」
「そうです」
「国鉄が最後やで、撮りに来たの?」
「はい、さようならマークが撮りたくて」
「そっか、わざわざありがとね!」
このやりとりだけは、はっきり覚えています。
国鉄職員さんの接客態度も、批判の的になっていましたが
そんな人はごく一部で、
みんな優しい人ばかりでした。
「気をつけてね」と言いつつ、
発車して行かれました。
中央線は殺人的ラッシュのイメージが
頭の中にありましたが、
平日の昼近くは、こんなノンビリムードも。
明日から「JR」になるのに、
そんなムードは何一つ感じませんでした。
普段着の電車なので、撮っているマニアさんは
あまりいませんでした。
田舎者丸出しでした。
駅で写真を撮ることに、
ちょっと恥ずかしさを感じはじめた、
中坊ナゲーですが、
そんな事は言ってられません。
都会の電車っぽく撮りたくて、
ドバッとお客さんが降りる瞬間を。
でも、ドバッとはなりませんでした。
これも一応国鉄形の「211系」
名古屋地区の211系は、
オリジナルカラーでしたので、
湘南色の帯を巻いた211系は新鮮に見えました。
「20系」寝台車が入線してきました。
春休み期間中に運転された
「臨時特急 あさかぜ52号」
何も表示が無いので、まったく分かりません。
牽引してきた「EF65形1000番台」が
「機回し」して、客車を品川へ回送します。
毎日の儀式だったこの光景も、見られなくなりました。
3段寝台を最後まで貫いた20系寝台車。
一度も乗ることなく、この世を去りました。
一度は乗ってみたかった。
「185系 特急踊り子」
よく見ると、トップナンバーでした。
国鉄としては斬新な塗装でしたが、
これだけ白いと、特急に使用する以上
洗車は相当大変だろうなと思います。
国鉄形車両が未だに走っているということは、
国鉄形が、いかに頑丈に
作られているかが、よく分かります。
山手線と、東海道線の
「さようならJNR」マーク付きは
次回ご紹介します。
編集の都合上、撮影順を前後してご紹介しています。
ご了承下さい。
もう一度、怒ります・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。