今年は、長女は高校受験。
長男は、小4だけど勉強嫌い。
嫁さんとは正反対の性格に
家の中は、ほぼ毎日落雷。
尻に着火しないと動かないDNAを
子供たちに注入したナゲーです。
ということで、
このブログは、尻に着火しなくても
毎日更新中!(金かかってますからね)
本日は、1987年10月~11月撮影の
JRだけど、まだまだ国鉄の写真を
ご紹介します。
って、ただのカッチリ鉄道写真ですが。
まずは、10月4日。
この日は、特別な列車が来ました。
JR西日本から「EF58形150号機」
急速に勢力を減らしたEF58形電気機関車。
当時は昭和初期の標準色だった、
「ぶどう色」と呼ばれていた茶色にした
EF58形が増えていました。
最後尾には、JR発足に際し
復活整備された「マイテ49」。
危険防止のため、上積みされた柵が、
ちょっと不格好ですが。
初めて挑戦した「流し撮り」
カメラ歴35年でも、
いまだに上手に撮れません。
数ある苦手な撮影法の一つです。
続いて、11月22日。
いつもの、岐阜駅東方。
「急行奥飛騨 高山行き」
字だけですが、愛称が幕に出るようになりました。
「165系」
本来の急行の仕事は無くなり
ローカル運用で精を出していました。
「113系 大目玉車」
JR東海のJRマークは、ほどなく
小さくて目立たないものに変化しました。
JR貨物の「EF65一般型」
キハ82形も、まだまだ元気でした。
JR東海特急形車両のJRマークは、
シンボルカラーのオレンジ色のシールに
取り替えられました。
「ワム80000形」を連ねた貨物列車。
まだまだ、ざらに走ってました。
ピカピカの165系・美濃赤坂運用。
大阪発の「特急しなの」
長大編成で走っていました。
ぶつ切り連結が、真新しく見えました。
特急しらさぎと離合。
国鉄世代からは、不思議な感じがしました。
ほぼ、「しなの」の続行で来た「特急しらさぎ」
今後、ダイヤ改正の度に
「しらさぎイジメ」が始まる事になります。
いまでも、しらさぎイジメは続いています。
大人のイジメも、陰湿です。
ボンネット形も、バリバリがんばってました。
「JNR」の中に「JR」が、
少しずつ勢力を拡大させていました。
民営化の実感が、ジワジワと
実感してきた、JR半年後の様子でした。
女の子らしい、ピンクの洋服を着せられた、
手術直後のまるちゃんが・・・・
ダサイ腹巻きに変化した姿・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。