フケ体質なので、
毎日シャンプーしてますが、
毎日、髪の毛大放出のナゲーです。
ということで、
似たような写真が増えて来ましたが、
撮った写真をほぼ公開する意気込みですので、
ちょっとガマンいただいて、
今回も、電車の写真を大放出します。
1987年12月27日
彼女も居なくて、オタク化進行中の
当時のナゲーは、まだまだ電車遊びに夢中。
新岐阜始発「普通・内海行き」
7000系白帯車固定運用列車でしたので、
毎度のフリー切符で乗り通すことに。
「新木曽川駅」で待避中の列車。
普通・内海行きは、途中駅から準急に変わります。
名鉄電車は、途中駅から種別が変わる電車が
現在でも多数設定されています。
そのまま安心して乗ってると、
種別が変わって、「あ~~~」という事態になります。
5分ほど停まりました。
座席指定料金無しで、特急車両に乗れる
お得列車と、内海駅でお別れ。
7000系は、区間運用1往復したあと、
内海始発の特急になります。
河和区間運用で走っていた
3850系が、今度は内海へ来ました。
もう永遠に複線になることは無いであろう
単線の知多新線を
朝日を浴びて、内海駅に進入。
トンネル内の吊り掛け音を堪能して
ふたたび富貴駅へ。
種別を変えることなく、知多新線へ進出する
6000系「高速・内海行き」
結局、内海まで全駅停まるんですけど。
朝モヤがかかって、異世界へ行く雰囲気。
「太田川駅」へ。
まだまだ旧型車が活躍していました。
3800系+3400系。
地上時代の「新一宮駅」へ。
JR東海さんが、岐阜~名古屋間の電車を
大増発したため、
名鉄さんも、対抗心剥き出しで
一宮始発の列車を大増発。
写真は、新一宮始発の「急行・常滑行き」
7000系白帯解除車の7001編成。
隣の線路はJR。
ほんとの真横を走っていました。
新一宮終着の6500系急行が入ってきました。
新岐阜までは、もう目一杯の本数が
走っていましたので、
名鉄さんとしては、苦肉の策という所でしょうか。
配線変更工事が終わり、ホームの整備が始まる「須ヶ口駅」
乗り換えが面倒だったのが、
方向別ホームに変わり、乗り換えが楽になりました。
津島線からの800系が、名古屋方面ホームに滑り込みます。
113系とのビミューな塗り分けの違いに
新鮮さを感じました。
伝統だった、行き先板の掲出は無くなりました。
なぜか「岩倉駅」へ。
パノラマカーを中心に、乗り歩いたようです。
逆さ富士が、ちょっと上の方に付けすぎた感の
7007編成。
西尾の文字がでかすぎる、
「特急・吉良吉田行き」
吉良吉田の文字が、小さすぎて読めません。
このままの勢いで、翌日へ。
1987年12月28日
行灯式行き先表示器が懐かしい「蒲郡駅」
新装なった「常滑駅」
かなり大きい駅ビルだったのに
空港線工事で、取り壊される運命に。
常滑に来たんですね。
なんとなく、思い出してきました。
犬山駅で進行方向が変わるため、
犬山線内走行中に、最後尾まで移動して
最前席を確保しました。
「新可児駅」に到着。
日中は、ここで御嵩方面と分断されていました。
行きに、犬山検車場に旧型車がたくさん
留置されているのが見えたので、
犬山へ戻って、徒歩で検車場へ。
敷地外から撮影です。
おそらく解体予定の3551編成。
後部標識灯が、一つ外されていました。
裏へまわって、留置線の様子を見ます。
3552編成が、ホキ車と共にお休み中。
800系810号車は、パンタグラフは上げてますが、
車番が読みとれないのか、外されたのか。
旧型車はラッシュ時意外、出番が少なくなりました。
いろんな種類の車両が集まっていました。
5700系も風前の灯火ですね。
羽島線は、7000系が絶対走らなかった
線区でしたので、
5700系をつかまえて、全面展望を堪能。
なぜか、「新木曽川駅」
これに乗って地元「茶所駅」へ帰ったようです。
1987年の名鉄電車は、これにて終了です。
1988年(昭和63年)に突入です。
変わったことをすると、楽しくなるね~。
(食器棚を、さようならしました)
今日はこの辺りで失礼します。