昭和63年に突入 岐阜近傍のちょい古写真
74回目の終戦の日を迎えました。
過去の戦禍で命を落とされた方々に対し、
謹んで、哀悼の意を表します。
争いを好む人が居るのも確かで、
人間が居る所、争いは、絶える事はありませんが、
極力、平和を保とうと決意を新たにするナゲーです。
ということで、
このような、ブログが書けるのも
平和な時代があってこそ。
感謝しながら、本日も更新してまいります。
ちょい古写真も、1988年(昭和63年)に
突入致します。
岐阜近傍で撮った写真を、ご紹介します。
1988年1月・日付不明。
毎度ですが、線路際での撮影・まだまだ緩い時代でした。
ご了承の上、ご覧下さい。
岐阜駅高架化工事・仮線路盤は
規制もなく立ち入り出来て、
近所の子供達は、自転車で走りまわってました。
写真は、おそらく「臨時急行・銀河」の回送列車。
こちらは、1月3日撮影。
まだまだ、バリバリの113系。
まだまだ、9両の長編成。
やっと、JNRプレートが外されました。
どういう趣旨で走ったのか、覚えてないですが
JR東海「特急・賀正ドラゴンズファン号」
地域密着の鉄道会社になって、
力を入れはじめた頃です。
「急行のりくら」も、バリバリ長編成。
JRマークは、JR東海コーポレートカラーの
オレンジ色に張り替えられました。
長森~那加間
冬空がきれいだったので、
なんとなく撮っちゃいました。
慣れない風景写真で、ボケボケ写真に。
せっかく、JR西日本の「あすか」が来たのに、
なんで、こんな撮り方したのか・・・。
先程の川には、アヒルが住んでいました。
各務原線を走る旧型電車をいくつか。
木製の架線柱が、たくさん建っていた時代。
東海北陸自動車道が、この2年前に開通。
開けた景色が、撮れなくなっていました。
ズラズラっと木造架線柱が並びます。
高田橋駅付近の風景は、今もあまり変わっていません。
以上、岐阜近傍での
ちょい古写真でした。
ギロッ・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。