名古屋鉄道・揖斐線 一番輝いていた時
ナゲーは、勝手な生物で
昨日は格好つけた事を書いてしまいましたが、
会社の人間関係を思うと
「孤独がイイ」と思い、
ブログの読者さんが、減ったりすると
「何がダメだったのかな?」と
気にしたり。
でも、死ぬときは
孤独になる可能性があるから、
やはり、孤独にも耐えないとと
老人ホームに入居するお金を貯めるナゲーです。
ということで、
第2弾をご紹介します。
前回はこちら。
前回は日付書いたかな?
1988年2月11日。
美濃北方駅まで、進めて参りました。
更に先、樽見鉄道線をまたぐと、
視界が開けました。
いい景色でしたので、
しばらくとどまりました。
770形が登場したときは、
これで丸窓電車や、旧型車ともお別れかと
嘆いたものですが、
線路自体が無くなってしまいました。
510形+520形の、名鉄レッド車が来ました。
車体を左右に揺らしながら、
高速で迫ります。
520形は、必ず黒野方でしたので、
山をバックにした写真は、撮れませんでした。
510形に比べて、ごつい顔つきです。
美濃北方駅で行き違いしたのは
510形リバイバル塗装車。
急行ですが、ここから先は各駅停車。
日中は市内直通電車のみ30分に1本に
削減されていました。
うまいこと、3種類撮れました。
もうちょっと先へ移動します。
美濃北方~真桑間。
線路沿いに細い道が続いています。
真桑~政田間。
富有柿の産地で、背が低く整えられた
柿の木畑が、そこらじゅうにあります。
柿畑の中を、突っ切ります。
もう、新岐阜から折り返してきてますね。
歩いて移動したのかな。
記憶が甦ってきません。
下方駅のホームから撮影。
川岸に駅があるのは定番でした。
下方駅も根尾川右岸に駅がありましたので、
柿畑の中の坂道を上ってくる電車が撮れました。
こちらも下方駅ホームより。
鉄橋を渡ってくるリバイバル塗装車。
黒野駅へ向けて、あと1駅。
相羽~黒野間。
この頃が、揖斐線が一番華やいだ
時期だったと思います。
田舎には、古い電車が似合います。
黒野駅へ向かいます。
冬になると、雪掻きを装備した
750形・モ755号車。
1回だけ、真夜中に谷汲線を走る
排雪列車を見たことがあります。
残念ながら、カメラを持ってないときでした。
常にカメラは持ってないといけませんね。
夕方になると、市内直通列車は
クルマのラッシュと重なると
揖斐線内の列車ダイヤ維持が困難になるので
忠節折り返しになります。
そうすると、700形+2320形の
急行も登場しました。
510形は定員が少ないので、
ラッシュ時は普通(各駅停車)運用に
入るのが多くなります。
揖斐線も、結構たくさんの系統板が
置いてありました。
急行運用は、大型車に任せて
ちょっと休憩する510形。
忠節駅に戻ってきました。
エバーグリーン賞受賞を祝う飾り付け。
やはり、万国旗。
揖斐線専用ホームで発車を待ちます。
一大イベントを前に、普段着の510形でした。
半分だけタキシードを着て、
バットマン顔のまるちゃんです。
今日はこの辺りで失礼します。