ナゲー家に生息する、4ヒューマンは
ことごとく、主義主張が合いません。
まず、インドア派が3ヒューマン。
アウトドア派が1ヒューマン。
成長途中の2ヒューマンは、
受験やゲームに忙しく、何かとキバを剥いてきます。
大人の2ヒューマンは、仮面家族みたいに、
お互い顔色伺って、戦闘モードになる時も。
まあ、全部本性を現してたら、
世の中生きていけないので、
ナゲー家で生息している間に、時には顔色を伺い、
時には、本性剥き出しにして、
そうゆう所を見せたりしながら、
厳しい環境へと放り出す・会社へ行く訓練をしていると思って、
クソ耐え難きを耐え、クソ偲び難きを偲び、
楽し難きを楽しみ、怒るときは怒って(これだけ違うやろ)
自分で書きながら、歯が浮くような言葉に嫌気がさし、
結局、次生まれ変わるなら
ヒューマンではなく、ブラックホールになりたいナゲーです。
ということで、生まれ変わってから
すでに3年の月日が経った、JR東海さんの姿を
ご紹介します。
JR東海さんは、地域密着を推し進め
国鉄時代に比べて驚異的な、
岐阜~名古屋間、1時間当たり快速4本、普通4本の
等時隔ダイヤを確立、
確実に名鉄さんから、旅客を奪い始めました。
撮影日1989年3月16日・18日。
新幹線による豊富な利益によって、
急速に国鉄形車両の一掃を進めました。
オンボロだったキハ82形を追い出し始めた「キハ85系」
初めて数両が投入され、「特急ひだ」に
まずは1往復だけ設定された新型「(ワイドビュー)ひだ」
オバケのようなエンジンのハイパワーで
当時の電車を凌ぐ高加速で爆走し、
ナゲーを驚かせました。
登場して、もう30年も経つんですね。
国鉄時代に、東海ライナーとして投入された
「211系0番台」は、残念ながら
東海カラーに貼りかえられ、
クロスシート車でしたので、
主に快速運用に就きました。
種別も、新快速・B快速・G快速に増え
※B快速は、稲沢・共和等に停車したパターン
G快速は、途中から普通に変わるパターン
Bが青、Gが緑の幕だったので、ナゲーが勝手に
このように呼んでいます。
編成も4両に統一。最大8両で走りました。
登場初期の種別表示幕。
急速に数を増やしていたのが、
「211系5000番台車」
JR東海特有の車両で、先頭の助手席側の
展望を考慮して、窓が上下に拡大されました。
現在は、東海道本線名古屋口から撤退し
中央本線を中心に活躍しています。
運用番号が「0000試」とか、
もう関係無しに走ってました。
行き先表示も、出したり出さなかったり
まだまだ統一感はありませんでした。
東海ライナーの愛称は、
いつの間にか、どっかへ逝ってしまい
短編成化されて、青幕B快速運用に入る「117系」
まだまだ国鉄色で走ってましたが
その内に、東海色に塗り替えられました。
いよいよ終焉の時が迫ってきた
「キハ82形」特急ひだ。
見た目は特急車の風格ですが、
自転車並の速度まで落ちてしまい、
エンジンが悲鳴を上げるほどの老兵。
ナゲーのような老兵は去るのみ。
時代の流れには、ついていけません。
こちらも急速に数を減らされた「113系」
211系に圧倒され、生息の場を狭めました。
ナゲーは、「カボチャ電車」と呼んでいた湘南色。
見納めの時が近づいていました。
たまたま、JR東海色と同じ配色だったので
塗り替えは免れました。
「新快速」で、ぶっ飛ばす117系。
優等列車に使用されていた、最も輝いていた時代。
こちらは緑幕の「G快速」
朝夕だけ見られた、緑色の表示幕。
211系5000番台車も、
バリバリ走るようになりました。
ピカピカのキハ85ケ系が、
120㎞/hで、爆走していきます。
テレビでもよく言われる、バブル時代。
ジョイフルトレインも、たくさん走って
団体客をどんどん運んでいました。
これ、どこのだろ?
JR東日本さんの車両ですよね?
整理した記録には「なごやか」と書いてありますが。
これもJR東日本さんかな?
国鉄時代の北海道・キハ183系に似た塗装。
こんな団体列車が、どんどん来ました。
現在は、ほとんど無くなってしまいましたね。
JR東海さん管内は、
電気機関車を運転できる人を無くしてしまったので
2度と客車列車は運転されない線区になってしまいました。
バラエティー豊富で、
まだまだ見応えがあった1989年の
JR東海を走る車両達でした。
バブル崩壊した~~~。
今日はこの辺りで失礼します。