心が壊れた、ナゲーのフーケー
身辺の環境変化に、めっぽう弱いナゲーですが、
最近は特に、いろいろ変化があって
「会社の組合内部抗争の激化による組抜け」
(表現がおかしくないか?撃たれるぞ)
「給料日の支給日が毎月10日に」
(年末、どうやって過ごせばいいんだ?金ねーし)
「消費税の引き上げによる懐事情の悪化」
(これは、じわじわ痛いです)
「来年の、桜を見る会の中止」
(ナゲーは「反会社的勢力」なので、来年は招待されるだろうと思っていた)
心が揺れ動くナゲーです。
ということで、学生→会社人
(社会人という言葉はナゲーには合わないです)
への変貌最中に撮った、
ナゲーのフーケー、
心が不安定だと、やはり写真にも影響するようで
まともなフーケーとは言えない写真ですが
恥ずかしい部分も含めて公開する方針で、
こんな時も(いつもですが)あるんだなと思って頂いて、
ご覧頂けると有り難いです。
では、何のつながりもない写真、ご紹介して参ります。
解説するような写真では無いので、
言葉は少なめで進めます。
1989年11月。
1990年1月21日。
車両の写真を撮る、いつもの場所の周辺。
危険な踏切で知られています。
子供さんの事故が、割と多く発生しています。
1990年3月25日。
不安な心を静めようと、思いつきで出かけた場所。
名鉄線では数少ない普通のトンネルの1つ。
何をどう撮って良いやら、
分からないまま、時間だけが過ぎてました。
会社人のクソえらさを体と心で受け止めた結果、
約6ヶ月の撮影ブランクが発生してしまいました。
1990年9月。
もう、稲が黄色く色づく時季に。
1990年10月21日。
ホントに何撮ってんだか・・・・。
心が壊れていました。
1991年1月13日。恋路ケ浜。
ちょっと鉄道から離れた時期もありました。
写真を撮る事が、ストレスのはけ口のはずなのに、
写真を撮る意識まで到達しなかった時期。
いろんな事を見失いかけ、彷徨うナゲーでした。
地震対策で、残念ながら解体される
茶箪笥で最期にくつろぐ、まるちゃん。
今日はこの辺りで失礼します。