ナゲーや多くの国民が支払った税金から支出した
「プレミアム付き商品券」ですが、
※ナゲー家も使用しました。
税金を私物に使わせて頂き、ありがとうございました!
瞬く間に、毎日の食品を含む生活費に使ってしまいました。
不足分については、ナゲー付き商品券を発行しようとしたら、
嫁さんに断られたナゲーです。
ということで、
存続のために税金を使うことなく廃線になった、
岐阜市内線の、1990年に撮った写真を
ご紹介して参ります。
結果的に撮っておいて良かったのですが、
なぜ撮ろうと思ったのか理由は不明。
岐阜駅前から忠節まで踏破したようです。
それではご覧下さい。
1990年3月18日。
停留所と言った方が正しいかもですが、
敢えて、駅と表現します。
会社人直前で、たぶん混乱してたんでしょうか、
なぜ思い立ったのか、今でも謎です。
安全地帯が有ったのは、この駅だけ。
でも半分以上の電車は、この駅まで来ませんでした。
地上時代の、JR東海・岐阜駅。
「ステーションデパート」は、
今の時代で言うと、すごくレトロな雰囲気でした。
新岐阜駅前駅。
駅名板がどこに貼り付けてあるのか、発見出来ず。
この人通りは、今の数倍。
まだまだ賑わっている時代でした。
「新岐阜百貨店」は、
好物だった「ミルク饅頭」や、回転する「お菓子詰め放題」
記念切符や切手を販売する店とか、
楽しい百貨店でした。
たくさんの人で賑わう「金宝町駅」付近。
ここも駅名板を発見出来ず。
「徹明町駅」の交差点を直角に曲がる「770形急行」
路面電車部分も急行運転していて、
徹明町・千手堂・西野町のみの停車でした。
所要時間は、あまり変わりませんでしたけど。
長良北町方面の線路は、すでにはがされて
跡形もありませんでした。
柳ヶ瀬付近は、ホントに肩がぶつかるくらいの
混雑でした。
金公園付近を通過する「570形」
先日、この公園に保存されていた「510形」が
岐阜駅前に移動されましたね。
廃線に反対だったナゲーは、複雑な気持ちでした。
「金町(コガネマチ)駅」に停車中の「550形」
市内線の駅名板は、ご覧のように
電信柱にくくりつけられていたので、
発見するのは至難の技でした。
「千手堂駅」の交差点を、また直角に曲がります。
左側へ直進する方ヘは、はるか昔に廃線になった
「鏡島線」が分岐していました。
「千手堂駅」駅名板。
「子の子(ねのこ)」は、
あちこちにあった「おにぎり屋さん」で、
手作りのおにぎりがとても美味しい店でした。
中でも「バーベキュー」という名前の
シュウマイを細長い蒲鉾で巻いたもの2個が
ピーマンと赤いウインナーを間に挟んで
串刺しにしたオカズが、とても安くて
美味しかったのを覚えています。
千手堂より先は、また次回。
おまけで、3月に撮った車両です。日付不明。
各務原線・新加納~高田橋間。
急行運用に入った「800系+いもむし」
この電車、確か営業運転だったような・・・・。
同じ特急料金で、すごい格差だなと
思ったのを覚えています。
回送じゃ無かったような気がするんですが・・・。
42番の3730系。
縁起悪いですが、おみくじを引くときは
必ず42番を引くナゲーです。
(必ずと言って良いほど、大吉です)
「6500系」初期形。
補助灯は、現在ほとんどLEDに交換されたのかな。
気がついたら3両編成になってた
「8800系」パノラマDX。
珍しく新岐阜方面に入線した団体列車。
またまた42番と、6000系。
先程とは違う日です。
余計に降りれない・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。