児童の虐待が相次いでいて、ひどい話しですね。
子供が苦手を公言しているナゲーでも、
さすがに殺したりはしません。
それよりも、いつも子供達から
「ハゲ」とか「おでこ広い」とか
「足が臭い」とか虐められているので、
「ナゲー虐待防止法」を制定するよう
政府に要望するナゲーです。
ということで、会社人の大変さに打ちのめされて、
約半年間鉄道から離れ、久しぶりにカメラを手にした
1990年9月に撮った、
JRさんの車両写真をご紹介して参ります。
この半年間は、ホントに全く撮る気がしなくて、
鉄道を見るのもイヤになってました。
そのまま鉄道から遠のいていたら、
今のナゲーは存在していない事になります。
(違うナゲーは、もっと変態になってたかも)
では、目も当てられない復帰作をどうぞ。
木曽川鉄橋から左カーブで坂を駆け下りる地点。
いつの間にやら、JR貨物さんの「EF65形1000番台」は、
ナンバープレートが色つきになってました。
ウォーミングアップのつもりで撮りましたが、
どうにもならない写真になってしまいました。
半年の間に、東海色化が進んでしまった「117系」
「211系5000番台」は普段通り。
「キハ85系・特急ひだ」は、時間短縮と
特急らしい車両になって人気が回復、
長編成の列車に成長しました。
(成長しないのは、ナゲーだけ)
場所を変えて、国道21号下。
ボンネット特急は現役でした。
すっかり国鉄の雰囲気は無くなりつつありました。
違う日。日付は不明。
木曽川駅近傍の撮影名所。
今では見られない「大垣・美濃赤坂」表示。
セメント専用列車。この光景も過去帳入り。
おっ、まだ国鉄色が残ってました。
JR貨物さんの「EF66初期形」だけど、
ヒサシが付けられました。
とても同じ形式には見えない「EF66形100番台」
もう廃車が出ているようです。
カラッポのコンテナ車。
空のコンテナ車は、とても撮りにくいです。
JR西日本さんの「485系」
東海管内では、邪魔者にされた特急しらさぎ。
いつも快速電車の後に走らされて、
中央線への送り込みで、夕方に設定されていた
「普通多治見行き」3+3+4=10両編成。
この撮影以降、ちょっとずつ撮影意欲を
回復させました。
写真やってなかったら、今頃ナゲーは
何やってたんでしょうね?
人間やめてたかも。
ネコの世界は、もっと厳しいかも・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。