待避駅の歴史に幕を閉じた、名古屋鉄道・西枇杷島駅と、分岐点の歴史的訪問
人生は、よく鉄道に例えられますね。
(鉄道じゃなくても、いいんじゃねーの?)
人生の分岐点とか。
人生の終着駅とか。
(ナゲーは終着駅が見えてきたような・・・)
人生は、快速列車とか
人生はクモハとか、キハとか、サロとか
(専門用語はやめた方がよろしいかと・・・意味分からんし)
中学3年の娘も、高校受験の初試練。
こうやって分岐点を乗り越えて、人は成長していくのだよ。
(ナゲーは自称168㎝で止まりましたが・・・)
ナゲーの仕事の分岐点については、なんと転職3回。
(多い方ですよね?)
その間にプータローも経験致しました。(苦労かけたね・・・・)
現在は、ハゲへの分岐点突入を必死で食い止めるナゲーです。
上下副本線(待避線)が撤去されるとお聞きしまして、
これは撮っておかないとと、
後期中年者の体に鞭をふるって(その趣味はありませんが)
西枇杷島駅の記録と、約30数年ぶりの訪問となる
「枇杷島分岐点」での写真のご紹介です。
待避線の撤去は、ネットニュースでも流れていましたので
御存知の方もいらっしゃるかと思います。
では、チラチラっとご覧下さい。
2019年11月21日。
金銭的余裕のないナゲーは、仕方なく、「仕方なく」クルマで移動。
(地球温暖化を食い止めようと思ってます)
庄内川の置いておけそうな場所にクルマを停めて
徒歩でやって来ました。
古い駅舎の前には、すでにトタンの建物が・・・。
この駅舎も同時に解体されるのかなぁ・・・。
「蔵」のような造りの、名鉄さんらしい
昔の匂いをプンプンさせる駅舎です。
名鉄さんの駅といったら、この緑色。
ナゲーは、大変落ち着くカラーリングです。
木製の長いす、プラスチックの簡素なベンチも健在。
ちょっと裏手に回ると、こんな感じ。
長屋のような、もう民家ですね。
駅員さんが常駐されています。
構内踏切には、待避線側だけ石畳が使用されています。
昔は石畳の踏切も、各地に点在していました。
西枇杷島駅は、ホームがメチャクチャ狭いので
普通電車が来る時間帯以外は、遮断機は閉まったまま。
名古屋方面の普通電車を、見送ります。
思いついたタイミングが遅くて、
すでに待避線側には、無情の柵が完成。
狭いでしょ?4両編成分しか長さがありません。
以前は準急の停車駅だったんですが、
その役割は、数百メートル先の「二ツ杁駅」に。
よく見たら、待避線の架線も撤去してありますね。
あ~ぁ、ナゲーはいつもこうやってタイミングを逃します。
行こうかどうしようか、迷うと結局ダメッすね。
岐阜方の踏切より撮影しました。
線路は赤さびて、廃線の様相。
岐阜方は、JR東海道本線・新幹線がオーバークロス。
両社同時に撮れるかな?しばし、待ちます。
なかなか、重なりません。
日頃のナゲーの行いが悪いんですね。(悪すぎ)
やり過ごすこと、電車6本ぐらい。
構図もクソもヘッタクリも無い写真。
何とか重なったから、まあ良しとしましょう。
やっと新幹線とも重なった!
早く撮らなきゃと焦って、柵が電車にかかっちゃた・・・。
腕の無さに幻滅するナゲーです。
JR線との交差は、いつでも粘れば撮れるので、
早々に立ち去って、ホーム側からの駅舎撮影。
ホーム拡張したら、跨線橋になって構内踏切も無くなりそうな予感です。
とりあえず、線路がある状態で撮れたので撤収しました。
では次回、いよいよ約30数年ぶりの訪問となる
「枇杷島分岐点」に向かいます。
昔と変わらない景色が広がるのか、それとも・・・。
後期中年者は、歩くのもエライです・・・
毎度お馴染み、まるちゃんコーナー!
録画用DVDを買うと、ほぼ必ず付いてくる
保護用の輪っかのスポンジと格闘する
まるちゃんの連続勇姿を、しばらくの間
1ブログ1枚ずつご紹介して参ります。
遊ぶかな?と思って、ポイッと投げたら
スポンジとの死闘のゴングが、響き渡りました。
机の上に倒れたスポンジを、
わしづかみにして襲うまるちゃん。
(その横では、全く勉強をやる気が無い小4息子の手)
続きは、また次回。スポンジの命運は・・・。
今日はこの辺りで失礼します。