32年ぶりの枇杷島分岐点・電撃訪問+プチ・ナゲーのフーケー
ナゲーの周辺にも、悪性の病気になった人が
たくさん居ます。
競泳の池江さんも、アナウンサーの笠井さんも、
まさにこれからって時に、
分岐点にさしかかってしまい、
そのような経験の無いナゲーは、その気持ちを
計り知る事が出来ません。
ナゲーの周辺では、そのような病気にかかる人は
良い人ばかり。
ひょっとして、悪人になれば病気にかからないのか?
今の所、たいした病気にかからないナゲーです。
(やっぱりね!)
ということで、昨日からの続き、
電撃訪問のご紹介です。
こちらの記事を合わせて見て頂くと、
過去との違いが分かるのでは思います。
西枇杷島駅から、分岐点方向へ歩きます。
2200系特急が、急カーブと29‰の急勾配を
キーキー言いながら駆け上がります。
奥に小さく見える建物は信号場の建物。
CTC(列車集中制御)になったので、
今は無人になったと思われます。
1800系+1200系の特急。
8両編成だと、画面に収まりませんでした。
歩くこと数分。
(後期中年者でも、手軽に歩ける距離です)
先にクルマを停めていたので、
実際は戻ってきただけですが、
32年ぶりの電撃訪問に成功!
早速、踏切を渡って名古屋本線の列車を狙います。
いかがでしょうか?
背景と行き交う車両は、かなり様変わりしましたが、
基本的に、「懐かしい~~!」と興奮。
1987年当時に、せっかく撮影したのに
落としたフィルムが無いか、ちょっと探してみましたが
やはり行方不明で、捜索を断念。
(そんなん、あったら宝くじ絶対当たるわ!)
廃車が決定したと噂に聞いた「1700系」も来ました。
右側には犬山線が分岐。
5分も間隔開かずに電車がやって来ます。
名古屋駅で、慌てて「特急」に飛び乗ると、
枇杷島分岐点にさしかかり、
「ヴァアアアア!間違えたぁぁァァ!」
ということになりかねない、
まさに、進むべき道の分岐点。
名古屋のシンボルになった
「ゼニトラレル・タワーズ」(おっと間違えた)
「セントラル・タワーズ」がそびえ立ちます。
当時は、当然ありませんでした。
そういえば、旧塗装の1000系を
枇杷島分岐点で撮った写真が無いなぁ・・・・。
しまった!撮っておけば良かった・・・。
今頃思っても、After Festival・・・?
踏切には障検(障害物検知装置)が設置されて
ちょっと撮りにくくなりました。
かなり霞んでましたが、御嶽山でしょうか?
反対側へ移動します。
犬山線から勾配を登ってくる「3300系」
ステンレス車が多くなりました。
おおお~、32年前は新車だった「6500系」
32年間、変わらず元気に走ってます!
そうそう、この角度で沢山撮りました。
6500系連続の登場!しびれました!
ナゲーが小学生の時に、
当時は最新技術だった界磁チョッパ制御を搭載して
(詳しいことは、他の文献にお譲りします!)
登場した6500系。
「ケホッ、ケホ~~」と息を吐く
ブレーキ排気音が特徴の6500系。
こうして元気に働いている姿を、
また同じ所で撮れたことに感動しました!
鉄橋のあいだからは、名古屋城も見えます。
(無理矢理だなぁ・・・)
(じゃなかった・・・)
「ミュースカイ」2000系。
そのまま列車種別になってしまいました。
日中は、岐阜方面では見れなくなりました。
車両が来なくなって、昔人間ナゲーは
ちょっと寂しいですが、
ドンドン電車が来る枇杷島分岐点は
今でも、鉄道ドマニアの聖地であると
(勝手に聖地にして良いのか!)
確信するナゲーでした。
では、ここからはちょっと気になった
ご紹介して参ります。
庄内川に架かる道路橋を歩きます。
小さい堰みたいな感じになってました。
庄内川は昔は結構汚い川でしたが、
この時も、歩いていたらちょっと臭いました。
(ひょっとして、自分が臭いのか!)
昼にしか行った事が無いので、
夜だと、また雰囲気が違うかもしれません。
名鉄側も撮ってみました。
なんだかなぁ~って感じです。
西枇杷島駅のすぐ近くの飲み屋さん。
まだ営業してるのかな?
西枇杷島駅はローカル駅かなぁ。
確かに、夜になると寂しそうな駅周辺です。
西枇杷島駅のすぐ横をまたぐ道路橋は
結構レトロな感じの橋。
ホームレスさんが居そうな感じです。
やっぱり名鉄電車は、「真っ赤」じゃないと。
遠い昔に思いを馳せた、枇杷島分岐点でした。
両手でスポンジを捕まえ、弄ぶまるちゃん。
動きが早すぎて、ブレブレに。
スポンジの命が消えようとしています。
まるちゃんに、慈悲の心は無いのか!
スポンジ危うし!
今日はこの辺りで失礼します。