昨日、オヤジの検査結果が出まして、
やはり「胃ガン」でした。
本日は、紹介先の大病院へ行きました。
その結果は、また後日お伝えします。
それにしても、「ガン」って言う名前は、
どなたが命名したんでしょうか?
まさに、「ガ~ン」ですよ。聞いただけで「ガ~ン」ですよ。
ネーミングからして、生きる意欲を削ぐような名前。
なんとかならないですかね?
例えば、「胃シェー」とか「胃アチャー」とか
「胃ゴメンネ」とか、「胃ボケナス」とか。
もうちょっと、柔らかいネーミングでも良かったような。
「こんな事書いて、ふざけるな!」と、怒られそうですが、
こうでもしてないと、まさに奈落の底へ落とされそうな気分。
名前変えた所で、いろいろ頑張らなきゃいけないのは同じか・・・。
ナゲーの周りでも、たくさんの方がこの病気と一緒に生活しています。
残念ながら、亡くなった方もたくさん居ります。
明日は我が身です。
薬を飲むだけで良くなるような、医学の進歩を期待しつつ、
自分がそうなったら、苦しむ治療だけはやめてと、
家族に頼んでいるナゲーです。
(ふざけた内容で、申し訳ありませんでした)
ということで、
病気になりそうな、ハーフカメラ写真
一貫性もなく、ご紹介して参ります。
胃腸薬をご用意下さい。
毎度お馴染みの、岐阜周辺の
いつもと同じ写真ですが、ご了承下さい。
前回も出したような気がする「キユニ28形」
写り方は違いますが、岐阜駅は同じ。
相変わらずの閑散としたホームに、
ディーゼルエンジンのアイドル音を響かせていました。
(ナゲーは、アイドルグループ「NGE48」のメンバーです)
岐阜駅にも、ちゃんと荷物用ホームが有りました。
岐阜駅始発の荷物列車も設定されていました。
荷物ホームで積み込み中の「マニ50形」
(「荷物」という言葉に親近感が湧くナゲーです)
時計を見ると、午後4時10分頃。
小学校から帰ってきて、
1人で岐阜駅へ、よく遊びに行きました。
大型のカセットテープレコーダーを持って行って
「音」を録音したことも。
当時の国鉄電車は、発車するときに警笛を
必ず1発鳴らして、発車していました。
その時録音したテープも残ってます。
(いわゆる「音鉄」ってやつです)
(ナゲーが鉄道写真を撮ると「ハゲ鉄」になります)
急行形だけど、座席はどれも直角座席だし、
なんの得も無いんだけど、
普通列車に、急行形が連結されてたりすると、
なぜか「いいなあ」と思っていた年頃。
(他人のものは、何でも良いなあと思うナゲー)
高山本線の「キハ48形」
当時、朱色(首都圏色と言ってました)1色塗りで
登場したときは、「手抜きだ」とか「ひどい色だ」と
多方面から、相当文句を言われてましたが、
いざ無くなると、あの頃は良かったとか
勝手な事を言い出すナゲーです。
入れ換え機関車は「DD16形」の時もあれば、
写真の「DE10形」の時もありました。
この機関車も、そろそろ絶滅の危機です。
たま~に、こうゆうのが通るのが
国鉄の楽しい所でした。
やはりハーフカメラでは、
走行写真はぶれまくり。
(現在は、加齢による手の震えでブレまくり)
岐阜東方の、「笠松街道踏切」付近より。
豚の鼻の「EF60形」が高速通過。
ライトが2灯に改造されているのを、豚の鼻と言いました。
(ナゲーの鼻の穴は、ほじりすぎで広がりました)
貨物列車には、必ず「車掌車」が連結されていました。
各地の駅で、車掌さんが貨車の入れ換えを
するためでした。
ホントに一貫性が無くてスミマセン。
お馴染み、茶所駅で「3900系」
「5200系」
踏切が上がるので、真正面の写真が撮れます。
「3730系」今は亡き「大須行き」
おそらく検査上がりの「7000系」
ナゲーの顔と同じで、テカテカでした。
(あぶらとり紙を使うと、一気に無くなります)
ホントにバラバラな写真でスミマセン。
東笠松駅を過ぎると、
一気にスピードを上げて爆走します。
急カーブの途中にあった「東笠松駅」
これだけ傾いて停まるので、
ロングシートだと、ずり落ちそうになりました。
「3550系・原型窓タイプ」
木造の車両でした。
以上、一貫性のない写真でした。
つまらん写真ヤネ~。ア~つまらん。
今日はこの辺りで失礼します。