ナゲーの仕事は、夜中出勤がありますので
やはり、タイヤ交換は必須です。
今季は暖冬で、雪が降る気配がありません。
なので、1月に入ってから交換しました。
お店でやると、結構割高なので
(ナゲーの給料では、タイヤ交換料金で首を吊る事に)
ナゲーが2台とも交換。
アブノーマルタイヤから、
(危ないタイヤやね?)
(ナゲーは全て、アブノーマルなんです!)
ナゲットレスタイヤに。(履きたくないわ)
(ナゲーは居なくても良いという事かな?)
所用2時間程度。(ナゲーにしては、意外とスピーディー!)
ナゲータイヤショップの工賃は、
1本あたり、¥150(税込み)という
破格設定で超割安工賃ですが、
恐怖で請求出来ず、働き方改革でボランティアするナゲーです。
(手動テキトールクレンチでボルト締めてますので、信頼度無し)
ということで、春先のテーマ無し鉄道写真1992
ナゲーのテリトリーから、JRさんも名鉄さんも
ゴチャ混ぜでご紹介して参ります。
1992年4月6日。
写真を撮りながら寝てしまうような空気感。
美濃方面は、日中はすべて乗り換え。
パンタグラフがビヨ~ンと伸びすぎそうです。
もう書かなくても、場所分かりますね。
間もなく廃車となる「7500系」後期形を撮影。
春の全国交通安全運動にちなんで、
春になると恒例だった「踏切事故防止運動板」
毎年「6000系」に付けられて走りました。
現在は、もう付けるのをやめたのかな?
1992年4月12日。
笠松競馬の厩舎が広がっている場所。
第3セクター樽見鉄道へ乗り入れする
「快速ナイスホリデー淡墨桜号」
客車は特急用「14系座席車」ですが、
トイレは垂れ流しでした。
※ 昔の列車のトイレは、ほぼ線路にボットンでした。
落ちていました。線路保守も大変だったようです。
専用ヘッドマークも用意されていました。
全車自由席だったので、お得に客車列車の旅が
天下の東海道本線で味わえる列車でした。
1992年4月13日。
特急改革で、全車一般席特急が出来て
特急列車にも使用されるようになった「6000系列」
特急に使用される事を考慮してなくて、
種別の「特急」幕が無い編成もあったので、
種別板を掲げて走る6000系列も見られました。
写真は「6500系・全車一般車特急 新岐阜行き」
同じ「6500系」ですが、全然違う顔。
爆走する6000系、モーター音は圧巻でした!
すっかり高山線のヌシになった
「キハ85系・特急(ワイドビュー)ひだ」
かっこ書きだった(ワイドビュー)は、
後に、正式名称になりました。
床から一段高い位置に座席が設置されているので、
バリアフリーに適さず、置き換え対象に。
(ナゲーの心は、いつもバリアフリーです!嘘をつくな!)
岐阜駅の高架橋は、ほぼ完成しました。
仮線を走る、JR貨物さん「EF65形1000番台」
国鉄色が維持されていた頃。
この後、ほぼ全車が貨物更新色にされて、
今また、国鉄色に戻されようとしています。
(貨物更新色は、コストがかかりすぎるらしいデス)
貫通扉が開かないように溶接されてるのかな?
爆走するJR貨物さん「DD51形ディーゼル機関車」
セメントや石油のタンク車を連ねています。
(ナゲーもお尻と口から、規制対象の排気ガスを吐き出します)
まだまだ「EF65一般型」も活躍中でした。
こちらも「踏切事故板」を付けた6000系が
茶所検車区の留置線で、お休み中。
常に電車が、ゴソゴソ動いているので、
見ていて飽きない茶所検車区です。
(ナゲーを見ていると、まぶしすぎて失明します)
樽見鉄道・本巣駅から出荷されたセメントを
大垣まで迎えに行っていた「EF64形0番台」
巨大なうなり声を発しながら爆走しました。
山用機関車のゴツイ車体が、かっこよかったです。
(ナゲーのゴツイ腹も、横に割れています)
てな感じで、てんでバラバラの鉄道写真、
今後も出てきますので、覚悟の上でご訪問下さい。
(見たくもないのに、スミマセンネェ・・・・)
それと、誤字・脱字が非常に多くなってきていて
気を付けているつもりですが、
脳細胞の死滅速度が加速しているので
何度も更新しても、ご迷惑をおかけ致しますので
その点、ご容赦下さいますようお願い致します。
ホント、見たくネーわ。寝た方がマシ。
今日はこの辺りで失礼します。