今日は接吻ですね・・・・間違えた。
節分ですね!
オヤジも本日昼に、入院致しました。
まさに節目、人生の分かれ目。
痛みも何も症状が出ていないオヤジは
一昨日に、豚肉炒めと嫁さんが作った豚汁を食って
オヤジ「胃で食べる最後やで、好きなもん食っとかななぁ!」
ナゲー「おう、そーやそーや!何でも食っとけ!」
そして、今日の入院時の説明で、
看護師さん「今日の夕食は、消化の良いドロドロの物ですヨ!」
オヤジは、病院食が楽しみだったらしく、
最後の胃で食べる食事が普通食じゃなくて
かなり落胆しておりました。(落胆そこかよ!)
明日は午前9時から手術開始。
実は神のナゲーですが、(絶対バチ当たるわ!)
更に上位の神様に全てお委ねして、
明日が無事に過ぎるのを待つナゲーです。
ということで、アタフタしても仕方ないので
粛々と、ブログ更新進めて参ります。
本日は1992年4月期の
イロイロ鉄道写真のご紹介です。
1992年4月26日。
大元は大正生まれの機関車「ED18形」が見事に復活。
「トロッコファミリー号」は、ゆっくり走る列車でしたので
古豪の大抜擢となりました。
ヘッドマークは、ちょっと似合いませんね。
旧型客車も茶色になって、
ノスタルジーな雰囲気になりました。
豊橋からの帰りに乗ったのは、
特急仕業から退いた、「7000系白帯特急車」急行新岐阜行き。
展望席は、すでに先客が。
争奪戦は熾烈を極めました。
(大人げなく、展望席奪取をいつも試みたナゲー)
同じ日の午後。
この日、もう1本走る特別な電車を撮影に。
写真は、飯田線専用車的存在になった
「213系5000番台」
車内は、転換クロスシートがズラッと(ヅラ????)
並ぶ、大変良い車両です。
目的の列車が、揖斐川橋梁を渡ってきました。
JR西日本さん「221系」が、初めて岐阜駅まで乗り入れ。
「快速・伊吹ホリデー221」として走りました。
写真は大垣車両区から、岐阜駅へ回送される電車。
何で、名古屋まで行かなかったんでしょうね?
焼く30分後くらいに、営業列車となって
折り返してきました。
数日間、設定されていたと思いますが、
JR西日本さんの221系が岐阜まで来たのは
確か、これが最初で最後だったのでは?
岐阜駅で撮れば良かったと、後悔してます。
揖斐川と221系のセットも、今は思い出に。
モウ1本撮るために、
JR東海さんの「117系」もついでに。
快速の表示デザインが、少し変化しました。
樽見鉄道さんに乗り入れた「14系」団体列車が、
大垣で折り返して、
「DD51・791号ユーロ専用機」に牽かれて
猛然と走ってきました。
手すりの鎖で、ニッコリ笑っているように見える「DD51」ですが
1000馬力エンジン2基を搭載しており
爆音、轟音、猛進して走る姿はギャップを感じました。
「14系」客車の乗務員室は、
両側に分かれていて、
真ん中の貫通扉部分は、ちょっとしたフリースペース。
走り去る線路を眺めることが出来ました。
黒煙吐きまくりで、排ガス規制に引っかかりそうな
ディーゼル機関車でした。
(ナゲーの吐息も、排ガス規制に引っかかります!)
明日は、オヤジ胃全摘手術の
1日密着ドキュメントをお伝え致します。
(大げさな!)
ド真剣に、チュチュルするまるちゃん。
見えてるのかな?
今日はこの辺りで失礼します。