とうとう、新型コロナウィルスで
お亡くなりになる方も出てしまいました。
インフルエンザと比べて、死者数がどれだけ違うのか
どこも報道しないので分かりませんが、
こんな肝心な時に、対策会議を他人に任せて
地元支援者と酒飲んだりする大先生方や
(イベントとか、あれだけ注意しなさいと言ってるのに)
そうゆう人に限って、感染しないんですよね。
いつも犠牲者は弱い立場の人ばかり。
さいわい、最新型コロナゲーウィルスによる死者は
(またその話しか!飽きたんですけど!)
出ていませんので、病原体のナゲーにとっては
一安心ですが、大変危険なウィルスなのは間違いありません。
(精神的なダメージを与えますので)
まぁ、ナゲーと濃厚な接触をする人間は、
基本的に居ませんので。
(家族とさえ、離散濃厚なのに・・・)
最新型コロナゲーウィルス保菌者なので、
会社でばらまいてやろうと考える
反社会的勢力のナゲーです。
ちなみに、監禁中のクルーズ船「ダイヤモンド・ナゲーデス号」
(違った?ナゲーデスって、ナゲー死って事かな!)
あれが、トム・クルーズ船だったら
たぶん、外国人好きの娘は
危険を顧みず、果敢に突入していくでしょうか・・・・。
(知るか!)
ということで、本日は
1992年撮影の鉄道車両写真
ご紹介して参ります。
生まれて初めて乗った、ビスタカー階下席。
ホントに良い眺めでした!(変態)
どっちの鳥羽駅かな?
近鉄さんですかね?
とりあえず、何でも撮りました。
何系でしょうか?
カッコエエッス!。
1992年6月15日。
大坂始発の「381系・特急しなの」
中間車に、顔をあとからへっつけた改造車。
貫通扉にある、国鉄時代からの「特急マーク」
ペッチャンコになってしまいました。
(ナゲーの顔も、改造して欲しい)
先日、淘汰が発表された「311系」
美濃赤坂行きなのに、大垣と書かれてしまう
よほど知名度が無いんですかね?
住宅地の細道が通っていて
所々、車庫で休む電車たちを、
間近で眺めれる場所があります。
1000系には、現在の「特別車」呼称になる前の
「指定席車」シールが貼ってあります。
5300系も特急に使用されるので、
「一般席車」の横サボが用意されました。
1992年7月29日。
JR岐阜駅の仮線ホーム。
「寝台特急・みずほ」は岐阜に停車していました。
朝の6時台に走ってたので、東京は昼頃の到着。
一度乗ってみたかったです。
JR東海カラーに塗り替えられてしまった「103系」。
211系の進出で
朝夕しか走らなくなっていましたので
名古屋駅まで撮りに出かけたようです。
スカイブルー時代に、撮っておけば良かったと、
常時後悔しています。
(ナゲーの人生、後悔ばかり)
今も走ってたら、たぶんリバイバル塗装に
なってたかもね。
1992年8月11日。
今では当たり前の姿。
当時彼女だった嫁さんと行った高山旅行。
次の日は、集中豪雨で散々な目に。
途中いくつもの駅で、雨量規制で停車。
極め付きは、鵜沼~坂祝間で倒木。
太多線経由になり、岐阜にたどり着けず
名古屋に着いたのが午前0時過ぎ。
ナゲーと一緒にいる人は、
悪運に巻き込まれ、ウィルスにも感染します。
(ナゲーブログを開くだけで感染しますのでご注意!)
「マルウィルス」も恐いです・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。