まだ2月なのに、今日もポカスカ陽気ですね。
(どんな陽気なのかな?)
ちょっと風が強いですが、
これが俗に言う「ナゲ1番」でしょうか。
(そんな風吹いたら、ウィルス蔓延するわ)
頭はいつも、ハゲ1番が吹いているナゲーです。
ということで、通常営業のナゲーのブログ
ご紹介して参ります。
カテゴリーに迷いますが、一応ナゲーのフーケーに。
体が大人になり、脳みそもチョット大人になったナゲー。
美濃町線を、本格的に記録しはじめました。
1992年9月2日。
新岐阜駅周辺から、歩を進めて参ります。
「マジで開かずの踏切」
今はもう無くなってるかなぁ。今度見てきます。
この道の奥には、民家とアパートしか無くて、
常に遮断機が下りていて、ボタンを押さないと
上がらない踏切です。
常に下りていたので、チンチン警報機が無かったような。
(ナゲーがボタンを押すと、爆発します)
マンションが建ち並ぶ各務原線を
馬面電車「モ600形」が、ガタゴト走っていきます。
(何で、ちょうど日陰でシャッター切るかなぁ・・・)
本線系の車両とすれ違うと、倒れました。
(そんな事は無い!)
ナゲーは美濃町線だと思い続けていた
「田神線・市ノ坪駅」
車庫(岐阜工場)が併設されていて
車庫自体は1967年に開設されていたようですが、
悲願の本線・新岐阜駅乗り入れを果たすため、
ナゲーがこの世に発生する1年前の、
1970年に開業した路線のようです。
現在の跡地は、巨大なパチンコ屋になりました。
※ 余談ですが昔、岐南駅の近くにもパチンコ店があって
その店のネオン管がいつも切れていて
「チ★コ」になっていました。コラ!
さわやかな初秋の風と共に、
路面電車「モ880形」が入ってきます。
当時は15分間隔で運転されていました。
市ノ坪駅で、必ず行き違いをしていました。
駅員さんが、タブレット(俗に言う通交手形)を
運転士さんから受け取ります。
新岐阜からの反対電車到着までの間、
束の間の談笑。
名鉄600V線区は、社員さんの数も本線よりは少ないので
みんな顔見知りになったのかな?
(ナゲーはボッチなので、会社でもボッチです)
ここからは、1992年9月4日。
美濃町線・北一色駅付近。
さして広くもない道路に、
岐阜の路面電車は走っていました。
写真上の方で、道路は右へ。線路は左へ専用軌道に。
北一色駅には、乗務員詰所があって
運転士・車掌の交代が行われていましたが
ナゲーが小学低学年の頃に詰所は廃止されました。
岐阜の路面電車は、電車が近づくまで
道路上は危なすぎて、待っていられませんでした。
(写真で、かすかに白線が外側へ広くなっている場所)
車掌さんが乗っていましたので、走行中に
「お降りの方はみえませんか?みえませんね?」
と車内放送。窓から顔を出して、
駅付近にお客さんが居ない事を確認すると
「チンチン」と運転士に電鈴合図を送って
通過していました。
そこが軌道法と鉄道法の違いですかね。
(駅では無く、バス停と同じ扱いですね)
ちょうど青信号だったので、
そのまま北一色駅を通過してきた
「モ600形・普通新岐阜行き」
(路面電車に乗るのは、岐阜では命がけでした)
北一色~競輪場前間は、かなり駅間距離がありました。
歩くと非常に遠いです。
北一色駅付近には、模型ファンだったらたぶん知ってる
「ビッグマン」という名前の、大きい模型屋さんが
今でも営業中です。
(ビッグなナゲーは、態度がデカイので嫌われます)
専用軌道に入って初めての駅が「野一色駅」
元祖・美濃町線、徹明町行き電車ヘは
ここで乗り換えになっていました。
「続行マーク(黄色い円板)」を付けた徹明町行きが、
追っかけてきた新岐阜行きと、接続待ちをしています。
(「ゾッコンマーク」を付けた女性は、ナゲーにゾッコンにならんわ!)
「続行マーク」は、
「後ろからまだ電車が来ますよ」という印。
先行電車はタブレット(通交手形)を持っていません。
反対の行き違い電車は、黄色い円板を付けた電車が来ても
タブレットを受け取れないので、発車することが出来ません。
人間がしっかりしてないと、正面衝突事故になります。
上手いこと考えられてましたね。
この駅から、美濃町線の本性が現れますが
その続きは、また次回。
美濃町線も大好きだったので、
これからも沢山出てきますが、ご了承下さい。
まだまだ寒いですが、膝には絶対乗らないまるちゃんです。
今日はこの辺りで失礼します。