拒絶反応出そう、ハーフカメラ汚写真 1984年10月・国鉄美濃太田機関区一般公開
オヤジ記事も連投、大変ご迷惑をおかけ致します。
ナゲーの2人の姉や甥姪にも、このブログをしっかり宣伝してありますので、
※ 「1」でもアクセス数を増やさなければ!
チリも積もればナゲーとなる。数はチカラ!数は暴力!横暴ナゲー!
広告出してないので、意味は無いカモですけど。
本日は、最凶医療ミス大ヤブ医者S内科を捨てて、
新転地のH内科・消化器内科へ行く日。
何事も、新しいことに挑戦するのが遊び以外は苦手のナゲー。
(あんたの診察じゃないでしょ)
緊張の面持ちで、ドアをくぐりました。
第一印象は、キレイ、看護師さんはみんな笑顔。
呼ばれて、イザ診察室へ・・・・・・。
結論から言うと、とってもイイ先生でした!
(ナゲーは、とってもワルイ人間ですが)
過去の経緯を全て話し、S内科の件も恨み節のように話すナゲー。
同業のお医者さん同士だからだと思いますが、
「それは、ホントせつないなぁ~」と、遠回しの言葉。
そのあと、いろいろチェックをして頂きました。
1.今までの薬が適切でないのも含まれているので、見直していく。
2.術後あるはずの胃腸運動改善薬が出てないので、今日から出す。
3.床ずれのようになっている腹のチューブ穴痕の絆創膏は
医者で貼りかえる。専用絆創膏は大病院しか持ってないので
もらってきて。
4.レントゲンを見て、骨粗鬆症がかなり進んでいるので、改善薬を出す。
転んだらヤヴァイですよ!
等々、詳しく説明して頂けました。
まだ1回目なので、何ともいえませんが
手術を受けたM総合病院から続けて、今のところ
オヤジは、しっかり診て頂ける先生に恵まれて、
その幸運を、少し恵んで欲しいと思う
「生きてるだけが、ボロ儲け」のナゲーです。
本題の前にまたまた、お詫びと訂正ですが
(やはり、ナゲー症が進んでるのか)
昨日の記事中、最初の汚写真で
読者の方からご指摘を頂きまして、
「JR西日本・165系」ではなく、
「JR東海・165系」ということが判明致しました。
誤った情報を書いてしまい、深くお詫び申し上げます。
(政治屋さんみたいな文章は割愛させていただきます)
ということで、生きてるから書けるブログ、
本日も更新して参ります。
連続の汚写真で、こちらも大変申し訳ないですが、
残りもあと僅かのハーフカメラ汚写真のご紹介です。
もう少しのご辛抱をお願い致します。
1980年代は確実ですが、
この時点で確実な年数が分からない、
美濃太田機関区一般公開は、3回ほど行きましたが
(もちろん小学生で、校区外出禁止法違反容疑)
この除雪車は必ず展示してありました。
蒸気機関車の前部にへっつけて、押されて走るタイプ。
新線開業の前に必ず走った「車両限界測定車」
限界に当たると串が折れて分かるようになってます。
串の姿が「花魁」に似てるので、
「おいらん列車」と言われたようです。
(ナゲーは変態なので、本物の花魁を見るとたぶんストーカーに)
一応子供限定だった、DD51形体験運転。
当時流行りのモノが図柄になった、立派な特製ヘッドマーク。
(ふざけて「ビチッ子」とか言ってた記憶があるナゲー。汚いです。)
よく見たら、「1984.10」と書いてありますね。
当然、ナゲーも乗りました。
ブレーキはさすがに操作禁止で、
ノッチ(アクセル)だけ、回させてもらえました。
女性に告白するよりもモノスゴク、ドキドキした瞬間でした。
当時は主力車だった、「キハ82形」も展示。
「さよなら樽見線」のマークが展示してあるということは、
1984年10月6日以降ですね。
なにげなく、トップナンバーの「キハ48形」
「キハ52形」も、バリバリ現役でした。
(ナゲーはバリバリ現役では無くなりました)
運転室もチラッと。
ものすごく簡素な作りだと思います。
ワイパーもエアーで動くタイプ。
とても狭くて、今のナゲーは入れないかも。
「キハ20形」は、更に古いのかな?
なんの意味もなく、デカイ石があったので。
あと半分、美濃太田機関区一般公開の汚写真がありますが、
拒絶反応が出るといけませんので、また次回。
まっ、落ち着こうか・・・・。
お目目直しの梅も、もう少しで終わります。
今日はこの辺りで失礼します。