ナゲーが潜伏する岐阜県でも、
「オンライン授業」なるものが、
高校生を対象に、始まっております。
最初は、双方向通信だったんですが、
「お前、映っとるがや!アハハ」とか、
「先生、マジ聞こえんすわ!」
「何の授業やっとるんですか?」
まぁ、こんな調子で
オンラインでも授業崩壊やね~か!
(幸いナゲー家ポンコツパソコンは双方向不可)
ほどなく、双方向通信授業は片方向になりました。
そうだ、ナゲーも「オンラインナゲー」を始めようかな。
双方向のオンラインナゲーブログにして、
リアルタイムで、ナゲーを見られるという、
ナゲーの生着替えや、現在のハゲ状況も手に取るように!
外出自粛の今、オンラインナゲーでコロナ危機を乗り越える!
間違いなく、ブログ閉鎖されるナゲーです。
ということで、本日もナゲーブログ
オンラインで進めて参ります。
今回は、不定期掲載のオヤジカメラ汚写真
出し惜しみして、ご紹介して参ります。
オフラインにして、ご覧下さい。
いきなりの汚写真ですが、
現在は「清水川緑地」として、きれいに整備されていますが、
こちらは、オンラインもクソもない、おそらく1974年頃の、
「天満公園」と呼ばれていた頃の写真。
ナゲーが可愛かった頃が写っている写真と同じネガなので、
(今のナゲーは、愚痴っぽい・ゴロツキ・我が強い・偽善者・外道の5G)
たぶん1974年頃かと。その辺りはご勘弁を。
近くには「加納天満宮」と言われる神社があります。
だだっ広い広場に、僅かな遊具。
名鉄電車は、現在も変わらない場所。
遊べて、電車も見えて、一石二鳥の場所でした。
ナゲーは記憶にございません。
(この世に降臨してから3年だったので)
岐阜市の梅の名所、「梅林公園」に
静態展示されている、日本国有鉄道D51形470号機。
保存会のホームページがあるので見てみると、
1940年製造、1974年廃車と書いてありました。
となると、この写真は据え付け直近の写真になるのかな?
この場所への移動は、1974年5月?とあるので、
半袖の人達が居るということは、夏頃かな?
現在も美しい状態で、保存中です。
(ナゲーも美しい状態で保存してほしい。元が汚いから無理か)
年代もある程度証明しないといけませんので、
ナゲーの2人の姉に対して、何の承諾も得ず、
当時の写真を、一部加工して掲載してしまいます。
おそらく、1977年頃。
(ジャージを愛用しだしたのが小学生だったと思われる)
家族旅行といっても、ある程度貧乏家だったので
日帰りが主。ナゲーがまだ宇宙に居た頃は、
(N78星雲に住んでましたので。嘘つき。)
2人の姉は、チョー貧乏に悩まされたようです。
一応家族5人で、犬山モンキーパークでの汚写真。
昨日まで、犬山橋の記事を掲載致しましたので、
ちょっと関連性を持たせて。
この頃の記憶は、微かに残っております。
昔の犬山モンキーパークは、
ご覧のように、もう人間だらけ!ウジャウジャ!
モンキーパークに直結していましたが、
ギューギュー詰めで、かなり待たないと乗れない状態。
階段に並んでいる人達は、モノレールの利用者の列。
車両は 「MRM100形」
コンクリート線路を跨って走る
日本で最初の「跨座式(日立アルウェーグ式)モノレール」だそうです。
2編成しか無いもんだから、
2編成連結の6両編成が限度いっぱいの輸送力。
それでも、これだけ混雑したので、
クルマ社会では無かった時代を感じます。
モノレール線は、旅客数の減少が著しく
2008年で廃線になっています。
ウルトラマンの姿に似た塗装が特徴でした。
岐阜方面なので、この数ですが
名古屋方面は、この3倍の数は居ました。
どの列車も、満員御礼!悲鳴が轟きます。
ドチビだったナゲーも、岐阜まで立ちっぱなしで帰りました。
現在は、コロナが無くてもガラガラ。
週末でも余裕で列車に座れます。
犬山城周辺の駐車場は、どこも満車。
鉄道はお金持ちの人しか乗れない時代になりました。
電車賃だけで、ちょっとの日帰りでも数万円かかりますからね・・・・。
クルマ社会になる前の、オヤジカメラ汚写真でした。
小さい頃は、ひざに乗ってたのに・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。