今でこそナゲーは、岐阜県内で一県二制度、
領土134.843平米の独立独裁国家総統でありますが、
小さいときは、一般岐阜県人でありました。
岐阜から出た事が無いので、
現在も鎖国状態のナゲー国ですが、
小さい頃の遊び場は、
ということで、本日は出し惜しみの
オヤジカメラ汚写真から、
少しだけ、ご紹介して参ります。
おそらく、1975年頃の国鉄岐阜駅から、
オヤジに連れられて行った時の、
オヤジが撮った汚写真です。
日本国有鉄道さん「153系」でしょうか?
なぜか、前面を撮らなかったオヤジ。
低運転台車、前面オレンジ1色塗装。
前を撮って欲しかった・・・・。
運転室背面の窓には、暗幕が下ろしてあります。
当時の国鉄ではお約束で、
客の目を嫌う傾向がありました。
「快速」のサボが横に挿してあります。
当時は名古屋~岐阜間1時間当たり、快速1・普通1の本数しか
走っていませんでしたので、
お客さんは、自然と国鉄岐阜駅周辺の人か
遠くへ出かける人のみで、本数が少ないので、
客数はたくさん集中しているように見えました。
旧型の茶色に塗られた荷物車両。
形式は疎いので、分かりません。
荷物列車も、ある程度本数があって
岐阜駅にも、かなりの列車が停車していました。
無造作に放り出された荷物。
職員さんも手慣れたもので、
開けたドアから、ホームに放り投げていました。
ワレモノだろうが何だろうが、お構いなし。
「乗せてやる・運んでやる」が常識でしたからね。
高山本線の列車「キハ17形」
旧形式は、キハ45000形で
1953年から製造された、
日本初の液体式量産型気動車だったそうです。
座席はもちろん直角座席ですが、
すごく狭くて、今の日本人の体型では
とても2人は並んで座れないほどの狭さ。
たくさん走っておりました。
いろんな車両が走っていて、
目をギラギラさせて見入っていた記憶が残る
オヤジカメラ汚写真でした。
今後も不定期で、出し惜しみして参ります。
バズを足蹴にする、チビまるちゃん。
今日はこの辺りで失礼します。