汚すぎる、オヤジカメラ汚写真 おそらく1975年頃の新岐阜駅前
感染者はまた増えつつあるのに、
ナゲーアラートを解除したナゲー国。
次なるスキップ3へ移行しました。
(喜びすぎて、スキップしちゃったよ!)
またまた新語を造り出すナゲー。
今度は、「With ナゲー!」
(ナゲーと一緒!イヤダ!キモイ~!)
ナゲーと強制的に共生する社会を模索していきます。
(これこそ、絶望というヤツではないの?)
それにしても、With熱中症とか、Withノロとは言わないのね。
どちらにしろ、ナゲーとは共生していかなければ
この社会は成り立ちません。
(別に、居なくても大丈夫だとは思うけど)
全宇宙にナゲーを浸透させようと目論むナゲーです。
ということで、任侠野鳥の会・PONY組長から
まだ破門の通知が来ておりませんので、
本日もナゲーブログ、
面の皮一枚で進めて参ります。
今日は、オヤジカメラ汚写真から、
年代不詳ですが、おそらく1975年頃の
チンチン電車という言い方、男女差別ですよね?
じゃあ、女性の言い方で・・・・、これ以上はやめとこうね!
では、想像せずにご覧下さい。
名古屋鉄道さん「モ570形」忠節行き。
1950年に誕生したそうです。
東京都電の「6000形」の完全コピーと言われてます。
モ570形は、大型車だったので、
道路が狭い岐阜公園方面の、
通称長良線へは走行出来ませんでした。
新岐阜駅前の停留所は、乗降客がたくさん居たにもかかわらず、
タイガーロープで道路とチョビット仕切っただけ。
非常に危険な停留所でした。
(ナゲーも非常に危険人物ですけど)
昔のネガなので、変な斑点が目立ちます。
汚いですが、ご了承下さい。
それにしても、「ぜにや」の広告が目立ちます。
ゼニヨコセヤ!ゼニヤ!ゼニ!任侠です。
名古屋鉄道さん「モ560形」
元・北陸鉄道さんの「モハ2200形」で、
細い車体でしたので、長良線へも走行しました。
写真は、新岐阜駅前終点の電車で
もう少し先に行くと、渡り線がありましたので、
方向転換して忠節・長良方面行きになりました。
写真は、旧塗装時代の岐阜乗合自動車。
郊外線が主に発車していて、
当時はかなりたくさんの台数が発車していました。
降車専用バス停は、かなり遠い所にありました。
バス待合室に突っ込むような形で停車、
(飛行機に乗り込むような感じ)
発車時間になると、誘導員が笛を吹いてバック。
歩道を横切って、各方面に発車していきました。
オヤジの在所が武芸川町でしたので、
ここからバスに乗ってよく行きましたが、
すごく遠くへ行く感じがして、結構コーフンしました。
「バスタ新宿」みたいに、「バスタ岐阜」にすればいいのに。
(失礼ですが、最初「パスタ新宿」と聞き間違えました。スパゲティーか?)
長住町車庫でオネンネ中の「モ590形」
岐阜市内線で営業運転されることはなく、
主に美濃町線で運転されました。
1957年に誕生し、この時はすでに
高速化改造を受けていました。
現在は、四国の土佐電へ移籍し、2両が現役です。
長住町車庫は、現在「Loft」がある辺りへの引き込み線。
各務原線ホームから見える所まで線路が有りました。
こちらの広告も「フィッシング」・・・詐欺か?
最後はこちら。
昔は、岐阜市内線の車両は、
この塗装だったそうです。
この方が落ち着いてますね。
「モ550形」も北陸鉄道さんからの移籍組。
系統板を見てもらうと、赤字と黒字があるのが
分かると思いますが、
黒字は、国鉄岐阜駅前系統。
違いが分かるようにしてありました。
岐阜駅前行きでも、時間がないときは
新岐阜駅で折り返すときがかなりあって、
はっきり言って、詐欺でした。
(時刻表や、放送で断りの案内はありましたけど)
よっぽど国鉄岐阜駅まで乗る人は、
ほぼ皆無でしたけどね。
ちょっと枚数出し過ぎちゃいました。
オヤジカメラ汚写真、今度は出し惜しみします。
保健所殺処分施設行きから
ナゲー国民になった直後のまるちゃん。
ゴハン、ベチャベチャに付けすぎ。
今日はこの辺りで失礼します。