ようやく学校が始まって、
平穏な時間が甦ったナゲー国ですが、
その途端、息子が通う小学校では、
復活登校の2日目、悪夢の避難訓練が行われたようで、
当日の朝は、息子がパニック状態に陥りました。
以前にも書きましたが、原因はあの
NHK(ナゲー放送協会)が鳴らす、緊急ナゲー速報の音。
※ なんの速報や?意味が分からない方は、
「ナゲー」の部分を「地震」に置き換えて下さい。
当人にとっては、生きるか死ぬかの死活問題で、
「お腹痛い、吐きそう・・・、オエッオオオエッ」
(ヤメロオオオオ!ツレゲロしてまうやないか!)
ナゲーは息子を説得しました。
「世の中には、アラーム音より、もっと恐いモノがあるんやて!」
「昔から、地震・雷・家事・嫁さんと言うことわざが・・・・・」
(あっ・・・間違えた・・・・)
女王陛下からの攻撃に備え、
頭上ハゲ形ミヒャエルナゲー激システムで、
(またそれかよ!)
敵からの攻撃を迎撃し、報復として
ナゲドン2号大陸間言語道断ミサイルを発射するナゲー第1書記です。
(最近ホントに書いていてワケが分からなくなっています)
ということで、言語道断のナゲーブログ
本日も進めて参ります。
今回は、樽見鉄道さんの汚写真が、かなりの枚数
だぶついてきましたので、一挙公開して参ります。
岐阜県内に独立国を構えるナゲーは、
どうしても、山の汚写真が多くなりがちで、
いつもと代わり映えがしませんが、
トイレのように流してご覧下さい。
最初に出し忘れの2枚。
1995年4月15日。十九条~横屋間。
1995年6月11日。日当(ひなた)~高尾間。
ホントに出し忘れちゃって、いつ出そうかなぁと思ってたんですけど、
別に出さなくても、という程度の汚写真。
十九条~横屋間。
曼珠沙華と聞くと、まんじゅうを思い出します。
(「まんじゅ」しか合ってね~し!)
この花も、毒があるんですよね。
(ナゲーの言葉にも毒があるので、嫌われます)
1995年11月11日。
この日は、一大ドマニアイベントが樽見鉄道さんであった日。
本巣~木知原(こちぼら)間。
なんの変哲もない「ハイモ230形」レールバスですが、
いつもは取り付けてある「スノープラウ」(除雪板)が
取り外された珍しい状態なので、一応記録で撮影。
当時、樽見鉄道さんでは、
車内で薬膳弁当を食べてお話しを聞く「薬草列車」と
(「薬物列車」だったら、そのスジの人が喜ぶかも)
薬草弁当を食べるだけの「ヘルシー列車」が
(「ヘルス列車」だったら、そのスジの人が喜ぶかも。ナゲーだけだったりして)
人気列車として運転されていましたが、
この日に限り、JR東海さんから旧型客車貸切の
「ヘルシー列車」が直通乗り入れ列車で運転された日。
鉄道ドマニアさん主催の団体列車で、
一切の装飾無しで走行しました。
谷汲口~神海(こうみ)間。
愛用していた望遠ズームレンズが、
体調を崩しはじめており、ピントがどうも・・・・。
茶色の客車なので、目立ちませんね。
目立つとイジメられますからね。ナゲー体験談より。
目立たなくてもイジメられるけど。ダメじゃん。
神海駅で行き違い停車中に、ナゲラッチ。
う~ん。ピントがダメだなあ・・・・。
鍋原(なべら)~日当間。
第5根尾川橋梁を渡る、ヘルシー列車。
ドマニアさんの要望で、国鉄列車を再現したとか・・・。
この鉄橋、実は相当高いところを走ってます。
この列車は、樽見駅から営業列車として折り返してくるので、
それまでブラブラ。
神海~高科間。
神海駅に戻ると、「薬草列車」が到着。
先頭車が専用車両で、後ろは一般の列車。
後ろ車両のお客さんの、好奇の眼差しを受けながら
車中で薬草弁当を満喫します。
先程の旧型客車列車が、折り返してきました。
車掌さんが、手動ドアを開けて安全確認。
ナゲーが小学校の頃は、こーゆー列車が
北陸本線には、まだ走っていて、
開けっ放しのドアから去りゆくホームを見たり、
今では信じられない光景が日常でした。
レールバスと旧型客車の出会いも、最初で最後。
大垣行き普通列車ですが、本巣駅で車両交換。
再び普通樽見行きで折り返してきます。
水鳥(みどり)駅。
JR東海さんの旧型客車。
後方の三角屋根は、濃尾大地震であらわになった
断層が間近で見られる「地震断層観察館」
機関車の後ろ、街灯を目立たなく撮れば良かったんですが、
何も考えずに撮るナゲー。
折り返し、JR名古屋行き団体列車になって
一大イベントは終わりました。
その他の、樽見鉄道さんの汚写真です。
1995年11月日付不明。高尾~水鳥間。
根尾川対岸の国道157号から。
違う日の「薬草列車」
池田満寿夫氏が外側だけデザインした車両が
メインで使用されるようになりました。
後方の山は能郷白山。
薬草列車の折り返しは、回送車両になって
揺れる車内で、後かたづけ。
(片づけは、ナゲーが最も苦手とする分野)
1995年11月25日。日当駅。
再び運転された、JR東海さんからの乗り入れ「ヘルシー列車」
今度は、ユーロライナー塗装に更新された14系座席車。
賑わいのあった頃の樽見鉄道さんです。
この年、本巣~樽見間が
タブレット・票券閉塞方式だった保安装置が、
自動信号化されると聞き、
記録に残したいと、タブレット閉塞機取扱の様子を
撮影させていただきました。
説明すると、2万光年ぐらいかかりそうな保安の仕組みなので
説明は割愛させていただきますが、
簡単に言うと、この赤い機械は隣の有人駅にも同じモノが有って、
いわゆる1本の列車しか通せない通行手形を機械から取り出すときに、
隣の駅とボタンを押すタイミングを合わせながら、
手形を取り出すという、チョーアナグロ・・・・もとい、
チョーアナログのマシーン。
タイミングが合わないと、いつまでも取り出せないという、
ボッチナゲーには、絶対ムリな道具。
到着した列車の手形を機械に入れないと、
次の列車の手形が取り出せない仕組みになっています。
ボタンを押すときに鐘が鳴るんですが、
その音が独特で、何とも言えない郷愁を感じたものでした。
自動信号化までは、どこの駅でも見られた光景でした。
1995年の樽見鉄道さんでした。ダラダラでしたね・・・。
ダラダラしちゃって、カユイワ~。
今日はこの辺りで失礼します。