今日になってナゲー国女王陛下の
「犬迎え入れ指令」が、撤回されました。
オオオオッ!対症療法の効果があったのか!
イヤイヤ、真相はこう。
帰宅後、譲渡団体にナゲー国の実情を含む相談メールを送信。
直後に「お断り」の返事が来たようです。
(どんなメールしたんだ?まさか、ナゲーが虐待してるとか・・・・)
今朝になって、雨が降っている外の様子を見て、
「雨の日の散歩、メンドイなぁ・・・・・」
(女王陛下の発言に、翻弄されるナゲー国)
こうして求犬病第2波は、一応収束し、
ナゲー総理大臣が、「我が国は求犬病はコントロールされている」宣言。
第3波は、自衛する事を指示し、
「ナゲーアラート」を解除するナゲーです。
(次は、求子猫病の陽性反応が・・・・・)
ということで、自衛しなきゃ危ないナゲーブログ
本日も進めて参ります。
山陰から下関へと歩を進めてきて、最後の目的へ。
昨日まではコチラ↓
最後の目的地は「雀田駅」
ドマニアの方なら、たぶんもうお分かりだと思います。
下関駅に別れを告げます。
停車していたのは、「可部線用・105系」
色は違えど、パンダの顔は共通。
高校生がたくさん居て、カメラを構えると
「あの人、電車撮ってる~。キ~モ~イ」目線が突き刺さりますが
見たことがない電車を撮るのは必須。
「撮るは一時の恥、撮らないは一生の恥」
と気力を奮い立たせ、必撮!
(ソッコーでカバンにカメラをしまう小心者ナゲー)
JR九州さんの「415系」に乗って、
青色の帯シールが、無惨にも剥がされて
芸術的な何かの模様に。
「小野田線・123系」に乗ります。
国鉄時代に、不要になった「荷物電車」から
旅客用に改造された車両。
目にクマが出来ているように見えて、お疲れモードの123系。
ボッチで走れるので、ローカル線に重宝したようです。
(やっぱり、ボッチいいね!)
いよいよ、雀田駅に到着しました。
目的の車両が、もう停まっています。
圧倒的存在感!「クモハ42006」
1933年から製造した車両。この時点で「62歳」。
2000年に廃車となったようです。
現役バリバリで走っていた1995年。
早速、撮りまくります。
木造の車内。
名鉄電車に木造車がたくさん走ってた頃を思い出します。
国鉄と私鉄では、造りがやっぱり違います。
雀田~長門本山間、1駅のみの仕事。
老体に無理はさせません。
(ナゲーもほぼ老体ですが、無理してます)
せっかくなので、1往復します。
お客さんは、ナゲーひとりボッチ。
運転士さんが折り返し時間で、話しかけてくれました。
カメラを持ってたからでしょうね。
「寒いでゴメンね。古い電車やで、なかなか暖房効かんのやわ」
「岐阜から!わざわざこれ撮りに?」
「運転席も狭いし、この電車大変やわ!」
たった1駅で終点「長門本山」着。
「自由に撮ったらエエワ!」
自由に撮らさせて頂きました!
10分ぐらいあとだったかなぁ、
やっぱりボッチで発車しました。
雀田駅に帰ってきて、午前の運転は終了。
パンタグラフを下ろして、昼寝に入ります。
運転士さんにお礼を言って、周辺を散策。
昭和初期の頃に見えますかね?
茶色の電車は落ち着いてるけど、
景色と撮るのは、意外と難しいのに気付きました。
阪急電車も難しそうですね。
この情景と線路配置、どこかに似てるなぁ・・・・。
どこだろう・・・・・。!!
廃線になっちゃいましたが、
クモハ42形が停まっている場所は、三河線。
右は西尾・蒲郡方面のホーム。
ちょうど、こんなふうにカーブしていて、こんな感じ!
(ナゲーアーカイブに汚写真がありますが、場所が分からない・・・)
昭和初期に、平成の女性がタイムスリップ。
には、見えませんよね・・・・。
今だったら、レトロと言われてもてはやされたかも。
この時は、ただのオンボロ電車としか
普通の人は思わないですよね。
これで鉄道車両探し、一応目に焼き付けて終了しました。
寝台特急出雲とEF81形ステンレス電気機関車は失敗に終わり、
相当な失意の中、一気に岐阜まで帰れないので、
途中、広島でもう1回潜伏します。
もうメインの汚写真はありませんが、
(メインで汚写真見せられても・・・、吐きそう・・・)
次回、その時の様子を汚紹介して、
失意のナゲー探しの旅、終わりとさせていただきます。
(また、テーマ戻ってるじゃん?オカシクネ?)
ベロベロベロベロベロ
今日はこの辺りで失礼します。