あゝ碓氷峠 ろくさんと釜飯屋さんと地元の絆
某国・★手県と同様、
1人の感染者も出していない、ナゲー国ですが、
(国民が5人とネコ1人だけですので)
ナゲー国は、GoToキャンペーンから外されることなく、
(強盗キャンペーンなんて言われてますがね)
近隣諸国との摩擦を回避出来たのは幸いであります。
(一方的に国交しているだけですが)
ナゲー総理自身は、GoAwayキャンペーンを
毎日実施しております。(ボッチ大好きですから)、
息子が、Nintendoスイッチの「どうぶつの森」にはまっていて、
すでに、ゲーム内でかなりの額の借金を抱え込んでいるようで、
(どんなゲームや!子供に借金させるとは!たぬきちが黒幕らしい)
息子が聞いて来るんですけど、
息子 「どうやって、借金返せばいいの?」
ナゲー総理 「銀行Go To!」
息子 「分かった!」
任侠魂を伝承するナゲーです。
(Do You 親や?)
ということで、GoAwayナゲーブログ
本日も進めて参ります。
あゝ碓氷峠・・・。
雨の日も、雪の日も、来る日も来る日も、
列車を守り続けた「峠のシェルパ・EF63形」
その使命を終える1年4ヶ月前の様子、
昨日に続き、ご紹介して参ります。
1996年5月6日。
再び旧道を走り、アプト式だった旧線路の
チョー有名撮影ポイント
「碓氷第3橋梁・通称めがね橋」に向かいました。
ホントの登山をして、俯瞰撮影する方もいますが、
写真はスポーツですが、汚写真はただのゴミ。
登山は無理。地べたから撮ります。
レンガ造りアーチ橋の向こうには、
ちょうど、特急あさま長野行きが、
「ろくさん」に押されて、66.7‰の急勾配を登っていきます。
押していく方なので、結構スピードが出ていて
シャッターのタイミングが難しくて・・・。
唸り声を残して、消えていきました。
軽井沢駅へ、クルマで戻る途中、
駅近くの、トンネル真上で待機してみます。
その途端に、唸り声がトンネルから聞こえてきました。
ヴァアアアアアアア!
EF63形の4重連がアアアアアアア!
行ってしまったアアアアアアア!
(仕方なく、トリミング)
ドマニアながら、何時にどんな列車が走るか、
定期列車以外は把握していないナゲー。
上下列車の本数が違うため、
横川運転区からお迎えに行くための機関車4重連。
この場合は、4重連でも単行(単コロ)機関車扱いなので
一番前の運転台で運転しています。
上野行きの特急あさまが、ここからいきなり始まる
下り坂66.7‰急勾配に、ゆっくりした速度で挑みます。
1996年5月7日。
2泊3日の中日は、軽井沢を見物。
北陸(長野)新幹線駅舎建設の真っ最中の軽井沢駅。
避暑地の駅らしく、爽やかな駅舎でしたが、
新幹線開業に伴い、取り壊されるはずでしたが、
現在は、しなの鉄道さんの軽井沢駅舎として再築されたようです。
かつて、ナゲー国の女王陛下とも、
この地でテニスをなさった事は、
事実無根なので、全く記憶に御座いません。
3日目の、1996年5月8日。あいにくの雨に。
どんよりとした空気の軽井沢駅。
さすがに寒かったです。
宿泊したホテルで、地元新聞を読みました。
「ろくさん」の記事が一面で載っていました。
「毎日同じ時間の、機関車の唸り声で目を覚ました」
「あの声が聞けなくなるのは、とても寂しい」
「何とか存続できないか、模索中」
と、書いてありました。
地元の人達と、一体化していたんですね。
JR西日本の「489系特急白山・金沢行き」が、到着しました。
すぐさま、ろくさんの切り離し作業が始まります。
協調運転しないといけないので、
たくさんの電気・空気ホースが繋がっていて大忙し!
2人がかりで、停車時間3~4分の間に解いていきます。
結構重いらしいんですよね、これが。
連結器も切り離して、小移動。
電車の運転士さんは、ここからまた本格的運転をしていきます。
後押しの大役を終えた「ろくさん」は、
束の間の休憩へ。
次の列車のストッパー役になるため小休止。
連結器部を見てもらうと、
たくさんのホースが付いています。
どんな車両とも連結できるように
左側のホースは、電車をコントロールする電気連結器。
(ナゲーの尻は、便器連結器付き)
連結器は、電車・客車とも連結できるよう双頭式。
(ナゲーは2枚舌式)
眉間にシワを寄せたような、イカツイ顔つき。
(眉間にシワを寄せると、天知茂さんにならないナゲー)
当時のJR中、最大重量(108トン)の巨体。
(68.9kgの巨デブ体ナゲー)
では普通電車に乗って、横川~軽井沢間を1往復します。
乗り心地を記憶に残そうと、体に神経を集中させ、横川駅に到着。
JR東日本さんの「107系」が停車中。
「165系」からの採用品を多用していました。
2017年で現役引退、私鉄に譲渡されました。
ウロウロしていたら、軽井沢駅から普通電車が到着。
構内外れからは、25パーミルの勾配。
望遠レンズにすると、結構勾配が分かりますね。
電気機関車が電車を引っぱるという姿に、
感動の涙がチョチョ切れるナゲー。
前々日撮り忘れたので、駅前の「おぎのや」を記録。
古そうな建物ですが、再建なのかは不明。
(オギノ式も、開発した所ではありません)
東日本にお住まいの方には、大変申し訳ありませんが、
ちょっとだけ、東日本方面のナゲーが遭遇した方達に、
いい思い出が無いナゲー。
実は、この横川駅で、フツーに撮っていて
駅員さんにど叱られてしまいました。
「列車にカメラを向けるな!」とか、「歩き回っちゃダメだ」とか。
切符も持ってたし、何か違反をしたつもりも無いナゲーですが、
反論しても、堂々巡りになるのは明らか。
もう1本だけ撮って、帰ることにしました。
ごめんなさいね、東日本地方の方に悪意は全くありません。
イヤな体験が、結構重なったもので。
特急あさまとの、今度は連結場面。
ホームには運転概要の掲示板が。
詳しく書いてあったので、勉強になりました。
この間にも、峠の釜飯争奪バトルが
後方のホームで繰り広げられております。
手旗誘導で、「ろくさん」が近づいてきました。
運転士さんが、ちょろっと顔を覗かせております。
「自動連結器」から「密着連結器」に切り替えて、
いよいよ、ドッキング!(イヤらしい意味ではありません)
連結を終えて、各種試験を終えると
発車ベルが鳴り響き、大慌てでお客さんが乗り込みます。
発車の度に繰り返される、ある儀式。
峠の釜飯・立ち売りさんが、列車に向かって深々と頭を下げます。
7~8分間に、何個売るんでしょうね?すごい労力です。
群がる客を捌く神業。ナゲーには出来ません。
最後は、「ろくさん」と運転士さんにも、労いの挨拶。
運転士さんも手を振って応えます。
電車だけではなく、碓氷峠で働く人達の協調運転も見事です!
鉄道は信頼関係で成り立つ仕事なのかなと思った瞬間です。
(じゃあ、ナゲーには鉄道なんて到底無理だね)
駅員さんに怒られた後だけに、
ちょっと救われた気がしました。
次の普通電車で、そそくさと横川駅を後にします。
普通電車の車内より。
横川運転区には、先代のアプト式電気機関「ED42形」が置いてありました。
ネットからコピペすると、
スイスから輸入された機関車を元に国産化。
1934年から製造され、1963年の粘着運転切り替えにより
全車廃車され、1号機は現在は「碓氷峠鉄道文化村」に保存、
2号機は、軽井沢駅近くの小学校に保存されているようです。
(やっぱ、42という数字は良いですね!)
電車内から見た、アプト線時代の「碓氷第3橋梁」
走ってるところを撮りたかったなぁ・・・・。
必ず再訪することを、ろくさんに誓って、
軽井沢駅を後に、岐阜まで7時間あまりの帰途に。
実を言うとこの旅にも、女王陛下を連行しましたが、
度重なる強制連行の事実を明らかにすると、
UN(国際ナゲー連合)から、脱退させられると
破滅の第3次ナゲー大戦に発展してしまい、
ナゲー国が存亡の危機に立たされますので、
今回は汚写真を伏せて、強制連行の事実を隠蔽しました。
1泊目は、軽井沢プリンスホテルで贅沢三昧、
2泊目は、防衛庁保養施設「軽井沢グリーンヴィラ」で監視付き宿泊、
(銃剣を突きつけられながら夕食・・・ご想像にお任せします)
2日目は、軽井沢を満喫して頂いて、1・3日目は鉄道三昧。
という感じの、3日間の旅行でした。
魅惑に取り憑かれた碓氷峠には、あと2回出没します。
その様子は、順次ご紹介して参ります。
あっ、ああっ、おおおっ・・・・、引き出しが動いてる・・・・、あわわわ!
明日は、汚写真棚卸しのため、臨時休業の予定です。
これを機に、傷ついた心と体と目を休ませて下さい。
再開できたら、またお会いしましょう!
(会いたくねーわ!)
いや~、ナゲーブログって、ホンッとにバカモノですね!
ハイ、サヨナラ、サヨナラ・・・、サヨナラ・・・・・。