1997年6月期の鉄道汚写真 ブルトレ出雲、わく団、その他
生きてますか?
死にました。
今年の夏は、ちょっとヤバイです。
またこの話題かよ!とお思いでしょうが、
「熱中ナゲー宣言」を発令させていただきます。
(ナゲーに熱中するとヤケドするぜ!という意味ではありません)
昨日はマジ逝きそうでした。後遺症が残っていて
今日、ブログ更新しようかどうか迷っちゃいました。
この暑さは約5年ぶりぐらい。
職場の室温は今季最高の42℃。
まあ、それはまだ良いんですが、
(耐えれるんだ!風通しが良いので)
休憩する詰め所の室温が、エアコンがあるのに36℃!なんだそれ?
(空気がよどむ場所なので、窓を開放しても意味がない)
実は、前政権を握っていた独裁社長の置き土産で、
広さにして20畳超の詰め所に、4~5畳用エアコンが1台。
(計算間違えてないか?嫌がらせ?独裁者だったからなぁ)
それ以前に使用していたエアコンが故障し、
退職した、当時のすりゴマアホ上司が、独裁社長に懇願したところ、
全く相応しくないエアコンを購入。
すりゴマアホ上司は、「すごく涼しいデス!サスガです!」
昨日の実態は、室温設定は最低の18℃・強風ダッシュ。
午後2時の時点で、詰め所室温は「祝・37℃」に達しました!
(ナゲーは何℃まで耐えられるか、臨床試験が始まりました)
適正なエアコン使用を罰則付きで義務化したいナゲーです。
(ナゲー国は負担しません。自己責任ですので)
ということで、熱中できないナゲーブログ
挫折しそうですが進めて参ります。
今回も申し訳ないですが
1997年6月期の鉄道汚写真をご紹介して参ります。
6月は夜明けが早いので、岐阜地方は夜行列車撮影の季節。
1997年6月29日。
相変わらず、虹の撮り方がヘタクソなナゲー。
この日の前日は、山陰地方で大雨が降りました。
ナゲーの予想で、普段は真夜中で絶対撮れない
東京行きの「寝台特急出雲」が、
ひょっとして、もしかしたら遅れて来て、撮れるのではないかと、
ナゲー必殺「山勘」行動で撮影ダッシュ!
JR東海道本線 大垣~穂積間。
慣らし撮影は、貨物列車。
JR化直後に製造された「EF66形100番台」通称「サメ」
この機関車も、先が危うくなってきたようです。
強烈な朝日と、強烈ナゲーハゲの光に向かって激走。
先程の「サメ」と同類には見えない
JR西日本さん「EF66形0番台」しかも死に番42号機の
富士の通過は、おおよそ4時50分頃だったような。
5時10分ぐらいかな?
ナゲー国の現・首都、岐阜にも停車しました。
長野から走ってきた「急行ちくま」大阪行き。
ちくわの磯部揚げが好きなナゲー。
時刻は既に、5時30分を超えました。
通常なら「特急出雲」は午前3時頃の通過。
ナゲー必殺の山勘は、いつも外れますので
諦めかけたとき、遠くからライトが・・・・。
ナゲーの山勘が当たったぁ~!!!!
約3時間遅れて、「寝台特急出雲」満を持しての登場!
出雲は電気機関車の出番が、東京~京都間と短いため
EF66形化は見送られ、昔ながらのスタイルを維持。
(女王陛下は昔ながらのスタイルを断念。ヤベッ!)
この調子で、宝くじも当たってくれればいいのに・・・。
満足して撤収し、別の場所へ。
では、これ以外の鉄道汚写真を。
7両編成に短編成化されてしまいました。
複線区間に見えますが、
手前の線路は、通称「垂井線」という単線区間。
関ヶ原折り返しの列車と、米原方面の普通旅客列車が使用します。
運がよければ、併走するシーンが見れるかも。
すっかり定着したJR東海さん「383系特急(ワイドビュー)しなの」
幕式ヘッドマークのデザインは
しっかりと受け継がれています。
JR東海さんのユーロライナー専用機
「EF65形112号機」が牽く、
JR西日本さん「お座敷客車・わくわく団らん」略して「わく団」
(ナゲー家では、ひやひや団らん。略して「爆弾」。違うやん)
金沢地区を中心に働いた車両。
オヤジ連邦からの分離独立戦争に敗北し、
ナゲー国借地には、アジサイがいっぱい咲いたので
女王陛下御自らの手で、お生けになったアジサイ花瓶。
約5年間、潜伏する事になりました。
ナゲー国に招いてから約1ヶ月、
1997年6月のグーちゃん。
ようやく慣れてきた頃です。
今日はこの辺りで失礼します。