あゝ碓氷峠(最終回)廃線18日前の記録
この年齢になると、1年がモノスゴ~ク早く感じます。
それだけ、「死」へ向かって猪突猛進ですが、
この前田植えだったのに、もう稲収穫なんですね。
女王陛下の御実家は、町のお米やさんでしたので、
女王陛下は、お米の味・銘柄にはかなりグルメです。
(ナゲーの舌は細胞破壊してますので、どれも同じ)
お米の銘柄って調べたら、約300種類もあるんですね!
何を知っているかというと、
1.なげえこまち(気持ち悪いわ!)
2.なげえ931(臭くて喰えんわ!)
3.なげーにひとめぼれ(間違っても有り得ない)
4.なげーにどまんなか(ナゲーの心に突き刺さる言葉募集中)
5.ハゲヒカリ(食べるとハゲます)
6.生え抜き(生えては抜ける髪の毛)
7.ナゲニシキ(ナゲーは錦を飾れない)
どれも喰いたくね~!不味そう!
どれを食べても、違いが分からない男ナゲーです。
ということで、 ものすごく遅いナゲーブログ
本日も進めて参ります。
何度も同じような汚写真をお見せすることになりますが、
いよいよファイナルを迎えました。
3度目の嘘つき!碓氷峠。(ウソじゃないです)
ご紹介して参ります。
行き過ぎに御注意下さい。
完全に、碓氷峠の虜になってしまったナゲー。
まだ鉄チャンだった友人と碓氷峠へ
3度目にして、最後の訪問を果たしました。
1997年9月11日。
JR岐阜駅から、「客車夜行急行ちくま・長野行き」に
いざ乗り込んだら、ほぼ満席状態!
急行ちくまは、長野行きは混み混み、
大阪行きはガラガラの時が多い列車。
仕方なく、友人とバラバラに着席し、
JR東海・車掌さんの検札を受けました。
ホントは、寝台車に乗りたかったですけど懐事情で断念。
名古屋駅で、機関車付け替えのため長時間停車。
実は名古屋駅で結構下車したお客さんが居たため、
友人と隣同士の席へ移動。
荷物を置いて、交互に列車撮影に。
「14系15形寝台客車」3両+12系座席車3両の編成。
いいなぁ・・・。寝台車で横になって行きたい・・・。
写真の人は、知らない人。スリッパ履いてます。
羨ましい・・・。カネさえあれば!世の中カネ次第。
なんと、先頭の機関車は
JR貨物さん愛知機関区所属の「EF64形29号機」!
JRさんの車両運用は複雑ですね。
ちなみに、客車はJR西日本さんの所属。運転士さんはJR東海所属。
撮り終わって座席に帰ると、またまた車掌さんの検札。
「さっき違う席に座ってましたね?」
ちょっとキレ気味の車掌さん。
「はい、空いたので移動しました」
「困るんですけど。行き先チェックしてますので移動しないで下さい!」
「なんで怒られなアカンの?自由席でしょココ!」
「自由席ですけど、便宜上チェックしてますので困るんです。」
「自由席なら、どこに座っても自由でしょ?おかしくね?」
「もう移動しないで下さいね。分からなくなりますので」
すぐにキレる任侠ナゲー。(オコチャマやね~)
自由席なのに、ナゲーの頭脳ではチョット理解不能。
車掌さんは帰って行きましたが、ナゲーがおかしいのか?
とりあえず席に落ち着いて、出だしから不穏な空気で出発です。
「急行ちくま」は名古屋から長野まで、6時間以上かけて走るので
途中の「木曽福島駅」で2時間近くのバカ停。
12系ながら、直角シートではなく、
リクライニングシートに交換されていましたので寝れました。
松本駅について、3割近くのお客さんが降りました。
松本電鉄さんの、元東急アオガエルが停まってました。
ナゲー達の降車駅は「篠ノ井駅」
翌朝の、1997年9月12日午前5時過ぎ
篠ノ井駅に到着。急行ちくまとお別れです。
数分待って、信越本線の「快速・軽井沢行き」が入線。
メッチャクチャな汚写真ですが、
特急車両に乗って、楽チン楽チン!
軽井沢に到着すると、すぐの乗り継ぎで高崎行き。
撮影するヒマもなく、碓氷峠を体験乗車。
足にチョット力が入るような勾配を体感。
隣駅の横川駅に24分かけて到着。
軽井沢駅からの1番列車。通勤・通学客が結構乗ってました。
廃止されると、もっと時間がかかるバスになります。
3度目なので見慣れた「ろくさん」が切り離されます。
またまた「ろくさん」との再会!と感慨深いナゲー。
JR東日本さん「185系」の変な色。
早朝の列車は、特急用車両が普通電車になったり
お得な運用が各地にあります。
185系が高崎駅に向けて発車しました。
トンボ返りで軽井沢に向かい、レンタカーを借りて
本当にこれで最後の、碓氷峠記録に向けて始動します。
ちょっと飽きてる方もお見えだろうと思いますが、
よろしければお付き合い下さい。
ゴミ箱が好きだったグーちゃん。
よくかくれんぼして遊びました。
ナゲーもよく、ゴミ箱に入れられます。
今日はこの辺りで失礼します。