3日前に右足裏に激痛が走り、
何かが刺さったのかなと、
女王陛下に調べてもらえるようお願いして、
酷い足臭のために拒否権発動されました。
そこを懇願して、完全防備で見てもらうことに。
(防護マスク・防護ガウン・ビニール手袋・放射臭測定器)
すると黒いヒモ状のモノが確認されましたが、
それ以上は女王陛下の身体的苦痛で無理と判断。
「ドクターN」の登場となりました。
ドマニアの群れを嫌い、緊縛を好み(変態)、
専門外のライセンスと(どんな資格?)
吊し上げのスキルだけがナゲーの武器。
(吊し上げされてんじゃん?)
三度のメシより電車好き(例外もあります)
「論文の作成」(出来ません!)
「洗濯・風呂掃除」(致します!)
「女王陛下への忖度」(致します!)
「ワタシ、失敗するので」(困るんですけど)
「手術は詰め所で起きてんじゃない!現場で起きてんだ!」
(ソレ、違うドラマのような気がしますが)
出勤後の会社詰め所で、ヒモ状物質摘出術を施行することに。
すっかり硬くなった体なので、足の裏を見るのも大変。
痛いので、ビールで麻酔をかけたいところですが、
仕事場なので諦め、麻酔無しで手術開始。
「ケツ圧250でサイノス」(意味が分かりませんが)
針が無かったので、大きめの画鋲で皮膚をほじくります。
「ガビョー!ピンセット!照明!汗!!!」1人で何役も。
3日間放置したので、かなり深くまで浸潤。
臭い足の裏の皮膚を切開していき、遂に黒いヒモに到達。
激痛と足臭がナゲーを襲いますが、手術続行。
ピンセットで摘出に成功!短い髪の毛でした。
傷口をバンソーコで塞ぎ手術終了。痛かった・・・・。
女王陛下に、メロンと請求書を持って行き、
請求書を破られるナゲーです。
(髪の毛、マジで刺さるので気を付けて下さい)
ということで、ブログだけがナゲーのデブ器
ナゲーブログ、本日も進めて参ります。
今回も、鉄道汚写真をご紹介して参ります。
飲用アルコール麻酔を飲んでご覧下さい。
1998年3月日付不明。
桜の時期以外は、ほぼ貨物輸送に専念する
樽見鉄道さん「TDE10形2号機」
地味なタンク車を牽っぱります。
あの世へ旅立つ前の、JR東海さん「381系」
ヘッドマークには見たことない「臨時」のマークが。
ここに留置してあるのが、最後の生き残り。
自力廃車回送の時を待ちます。
(他力本願寺・信者のナゲーです。どこ?)
JR東海戸本線 大垣~穂積間。
お馴染みの、JR東海さん「311系」
JR東日本さん「485系・華」
下写真の電車と、同じ車両なんです!
1997年に改造されました。
斬新なカラーですが、お座敷電車です。
東海地方にもチョクチョク来てもらえる電車。
現在も、関東地方を中心に活躍中。
(ハゲにも華がありますが・・・?)
お馴染みの「221系」
現在は転落防止幌など、いろいろ改造されて
顔つきが変わっています。
まだまだ、北陸本線は特急街道でした。
結構混雑していましたので、
米原切り離しの、付属編成がへっつくようになりました。
この改造車が、また何とも言えない顔。
とても国鉄形特急車両には見えない。
一仕事終えて留置される「特急しらさぎ・付属編成」
すごい顔でしょ?ペッチャンコ。直角。絶壁。
何でも国鉄色に塗れば良いってもんでもない気もしますが、
現在の、前面ペッチャンコ特急の元祖か?
どんどん出します!
JR西日本さん「EF81形トワイライトエクスプレス色」が牽く
JR東海さん「12系お座敷客車」通称・ナコ座。
トワイライト色EF81は、本業失職中。
ナコ座は、1999年にこの世を去りました。
開放型の後部展望スペースが人気でした。
米原~醒ヶ井間。
なぜか、米原からはJR貨物さんの「EF64形56号機」
JR会社に分割後は「線路使用料」とか「車両使用料」とかが
複雑になって、この場合はどうなるの?
(ナゲー使用料は、無料です!)
1998年3月15日。大垣~穂積間。
車体に特大「JRシール」が貼ってないので、
JR東海さんの「165系」
救済大垣夜行電車は、
大垣電車区に空きスペースが無くなるので、
日中は、尾張一宮駅の側線に留置のため回送されました。
(要は、ナゲーと同じで邪魔者扱いね)
1995年から運転開始した大坂発着「特急ワイドビューひだ」
しばらく「急行たかやま」と2本体勢になりました。
「ひだ」の方は長らく臨時列車扱い。
運転日も限定されていました。
岐阜駅では、名古屋から来る「ひだ」に連結するため、
お客さんを乗せたまま、引き揚げ線まで引き込んで
お客さんを乗せたまま連結するという離れ技をやっています。
こんなんも来ました!
JR東日本さん「485系・ひたち色」
当時は、団体列車が活発に行き交ってましたね。
色とりどりの車両が来て、もうヘロヘロでした。
両先頭車とも、もう485系の原型を保ってません。
どうって事ないですね。
JR東海さん「DD51形791号機・ユーロ専用車」と
先程の「12系お座敷客車・ナコ座」
怒濤の如く、出しまくります。
(ちょっとヤケクソ気味)
1998年3月19日。JR北陸本線・田村~坂田間。
まだまだ、221系が主力でしたね。
線路際に積まれた土砂の山によじ登って。
特急車といえども、中身は国鉄形のボロボロ。
塗装も剥がれたまま運用に入る、痛々しい姿。
(ナゲーといえども、中身はボロボロ。精神ズタズタ)
金沢~米原間の「特急加越」
ボンネット車が、よく運用に就くようになりました。
東尋坊の絵がきれいだった列車です。
またまたまた、「ナコ座」を牽く、
JR西日本さん「EF81形47号機 交流・直流両用電気機関車」
JR東海さん「DD51形749号機」
1998年4月4日。
「特急ワイドビューひだ」と共存していた
大坂発着「急行たかやま」飛騨古川行き。
1999年12月に廃止され「特急ひだ」に統一されました。
古い気動車なので、最高時速が95Km/hまでしか出せず、
かなり鈍足な急行列車でした。
シーズンの土休日のみ運転された、名古屋発着の
「快速ナイスホリデー淡墨桜号」
かつての「ブルートレイン・寝台特急さくら」風のヘッドマークを付け、
ドマニアから強烈な追っかけを受けた列車でした。
(その内の1人・ナゲラッチです)
お馴染みなので、解説省略。
ちょっと出し過ぎて、目が麻痺しますね。
線路沿いで撮影した汚写真は、
見やすいように、トリミング加工してあります。
十分な距離を取って撮影しております。
まだまだ続きますので、キツイ方は
すっ飛ばして下さい。
モウヤメテ~。シヌ~・・・。
(今はやめれないんだ・・・・)
今日はこの辺りで失礼します。