彼岸花が終わり、次は、
キンモクセイの季節ですね。
ナゲー国のミミズの手のひらほどの庭には、
現在地にナゲー国を建国して以来の
キンモクセイの樹がかなり大きく成長し、
そのまま延ばすか、伐採するかで、
ナゲー総理と女王陛下の壮絶バトルが
毎年繰り広げられます。
ナゲーが「そろそろキンモクセイやなぁ」と
喋ったとたん、ゲーム中の高1女子国民が、
「誰がキモクセイやねん!それアンタやろ!」
いきなりの脅しに、震え上がる任侠ナゲー。
すかさず小5男子国民が、
「チンポコセイって何?どこの星?」
それはね、ナゲーと君が育った
オタマジャクシがいっぱい泳いでる星だよ!
(ン・セイしか合って無いような気もしますが・・・)
心にも秋風が吹くようになったナゲーです。
(風は髪の毛の大敵なんだけど)
ということで、ヘッポコナゲーブログ
本日も進めて参ります。
怒濤の鉄道汚写真、まだまだ続きますので
ご迷惑をおかけ致しますが、
スルーのほど、よろしくお願い致します。
1998年5月25日
JR東海さん「EF56形106号ユーロ専用機」の
レール輸送用貨車「チキ」を牽く姿。
現在、JR東海さんのレール輸送は
キヤ97形気動車に取って代わられました。
ちなみにナゲーは「キチ」です(キチガイ)
東海地区へ遠征してきた
JR西日本さん「489系」団体列車。
ヘッドマークは昔ながらの引っかけ式。
1998年5月27日。
JR西日本さん福知山地方の団体車
「キロ59形・セイシェル」
なんでセイシェル?
ネットで調べると、福知山支社発行誌の名前で、
東アフリカの「セイシェル共和国」の
リゾートイメージにあやかったらしい名前。
(ナゲーリゾート国に名前変えよかなぁ)
2両目の車両は、実は12系客車の改造。
形式も「キサロ59形」になってます。
「サ」は動力を持たない付随車。
なぜ「サ」かは諸説あるそうですので、
お暇でしたら、ググッテ下さい。
1989年から2005年まで活躍しました。
1998年5月28日。
お馴染みJR東海さん「117系」
以前ご紹介した、悲運の馬鹿ヂカラ電気機関車
JR貨物さん最強の「EF200形」
日本初のインバータで交流モーターを動かす
当時はまさに「ハイテク機関車」でしたが、
近づくと、モノスゴイ冷却機の騒音でした。
(インベーダー・ローテク・ナゲ)
翌日、「セイシェル」が戻ってきました。
実はこの時夜勤だったんですが、
線路脇の道路で端に近寄りすぎて、
見事脱輪!JAFさんを呼んで引き揚げてもらい
夜勤ギリギリだったという実話。
余裕を持って行動しましょう。
JR東海さん「DD51形+14系」回送列車。
1998年6月3日。
乗務員さんのハンドル訓練も
いよいよ終わりとなりました。
木曽川も昼間に走ったよ的な記念汚写真。
1998年6月7日。
JR東海道本線・穂積~大垣間。
お馴染み、上が「特急しらさぎ11号・富山行き」
下は、「特急しらさぎ10号・名古屋行き」
JR東海さんの主に臨時列車用「ゆうゆう東海」
165系急行形電車の改造車。
普通車扱いなので、気軽に利用できる車両でした。
と言っても、一度も乗ったこと無いですけど。
1989年から1999年まで活躍しました。
単独列車で設定されていた「ナイスホリデー」ですが、
とうとう、定期列車に名称を付けただけになりました。
なので定期の「新快速豊橋行き」に
愛称が付いただけの列車になってしまいました。
途中から混み混みになるので
「バッドホリデー」ですね。
普段どおりの「211系5000番台」
1998年6月8日。
珍しく東海地区に顔を出した
JR西日本さん「183系」
一見しらさぎとかの「485系」と同じですが、
交流電源機器を取っ払い、直流電源専用化改造。
目印に、窓下に1本赤いスジが入っています。
1998年6月9日。
JR西日本さん山陰地区の団体車両
「キロ59形・ふれあいSUN・IN」
1986年から2008年まで働きました。
東海地区への走行は非常に貴重でした。
(ナゲーだったら、任侠ザン・ニンと付けるけど)
いつもの「117系」
ラッシュ時は8両で運転されました。
ほんとに鉄道汚写真ばかりでスミマセン。
1998年版は当分続きますので、
飽きちゃったらゴメンナサイ・・・・。
モ・ウ・イ・ヤ・ダ・ヤ・メ・テ・・・。
今日はこの辺りで失礼します。