ナゲーには、トラブルが付き物です。
(今更言わなくたって分かってる。GoToじゃ無いよ)
転職を4度ほど繰り返していますが、
(1ヶ所に留まることが苦手なナゲー)
行く先々の会社で、すぐにトラブルになり
現在の会社でも、たとえブラックホール企業と言えども、
ナゲーの性格のせいもあって、
労働問題で、会社や社員と対立する所まで
なってしまいます。
(自分ではそんなつもりないんだけどね)
その結果、出世からは遠ざかり
(別にしたくねーし)
給料は、スズメの目くそにとどまり
(その点は、大変遺憾に思います)
ジャンボ宝くじを買っているにもかかわらず
1等は当たらないし、
(当たらないのが当たり前。背後からは当てられる)
いつまでたっても、
女王陛下に、うだつが上がらないナゲーです。
(エクス・テンションは上げていきたい。頭に。・の場所違うか?)
ということで、下げ下げナゲーブログ
本日は、「うだつの上がる町並み」を駆け抜け、
(実際は、かすめていただけですけど)
1999年3月31日をもって、惜しまれつつ廃線となった
廃線1ヶ月前から惜別撮影した汚写真を
ご紹介して参ります。
ナゲーに解脱をさせて下さい。
(勝手にすれば!任侠ナゲー真理教・教主)
1999年2月25日。美濃駅構内。
簡単に概要を書きます。
美濃電気軌道という会社でした。
1930年(昭和5年)、名岐鉄道と合併
(この辺りの社名の変遷はとても複雑)
その後、新岐阜駅乗り入れ・急行運転等の施策をしましたが、
路面電車タイプで時間がかかり、
並行するバス路線やクルマに蝕まれ、
1時間に1本程度に減らされていたこの区間は
長良川鉄道さんが並行していたこともあり、
先行して廃止されることが決まりました。
日中は、仕事のない「モ590形」が
美濃駅構内で昼寝をしていました。
美濃の町並みは「うだつの上がる街」で有名。
「うだつ」とは、屋根の端を高くして、
火災時の隣からの延焼を防ぐ目的の
江戸時代から続く瓦造りの屋根の事。
ちょうど、ナゲーがうつぶせになって、
エビぞりしているような状態をご想像下さい。
(最近、体が太くなったので3㎝ぐらいしか上がらない)
その町並みの玄関口として機能していた「美濃駅」
廃線の約1ヶ月前。
ドマニアさんは、まだ誰も居ませんでした。
駅近くの小高くなった、市営駐車場(砂利敷き)から。
新関始発の電車が、少ない学生を乗せて到着。
パンラグタフが伸びきって、飛んできそう。
最後まで有人駅だった美濃駅。
歌手の野口五郎さんの出身地として
知る人は、たぶん少ないでしょうね。
この「モ590形」
路面電車だと思って、バカにしてはいけません。
スタートダッシュはものすごい加速!
ブレーキも、一瞬でスピードが下がる代物。
運転のテクニックもすごかったです。
高速化改造されて、暴れ馬のような電車になりました。
構内の一角に、保線の詰め所が有って、
許可を頂いて、地べたから撮らせて頂きました。
夕方から夜にかけては、
30分に1本の列車本数になりました。
折り返しの休憩を取る暴れ馬。
昼寝していた電車も、
パンタグラフを上げて、ナゲー昼寝から目覚めます。
駅名標だけは、
名鉄電車のコーポレートカラーになりましたが
駅はボロボロのまま。
この駅舎も、開業当時からのものなのか、
2005年には、「登録有形文化財」に指定されております。
(ナゲーは、非登録無能分別ゴミに指定されております)
電車が着いた一瞬だけ、ザワザワして、
ほんの数分で、静寂が訪れました。
手前の道路を左へ坂道を上がったところ、
徒歩3分ぐらいの所にあります。
高速道路もあって、クルマで早ければ30分強。
岐阜バスは頻発運転。
電車は、1時間強。
名鉄さんは、もう諦めてましたね。
(しつこいナゲーとは大違い)
この駅で、24時間の宿泊勤務は
ちょっと恐そうですね。
チョー田舎の雰囲気を残していた
大好きだったので、今でも悲しいです。
夕暮れ時は、更にもの悲しいですね。
この1ヶ月後に無くなるなんて
とても信じられませんでした。
ここ数年、人間と一緒で、
お祝い事より、お悔やみごとの方が
増えてくる年代になってしまったなぁと
感じますが、廃線を実感した最初が
この、美濃町線・新関~美濃間でした。
この先、バッタバッタと廃線を体験していくことになります。
しばらく、美濃町線の汚写真、続けて参ります。
寂しいので、クマのプーさん(?もどき)と
一緒に寝る、ノンノちゃん。
今日はこの辺りで失礼します。