また一つ、ナゲーの「昭和」が
(テメーの昭和じゃねーし)
終わることとなってしまいました。
大好きだったドラマ「太陽に吠えろ!」や「西武警察」の
「石原軍団」が解散してしまいました。
度派手なカーアクションや考えられない戦闘シーンなど、
子供心を突き刺す、素晴らしい名作品をたくさん見せて頂きました。
同時に、(このパターンは!)
「ナゲ腹軍団」も解散が決まりました。
(全然強そうじゃないし。四段腹か)
過去の作品を振り返ってみると、
※ ここから先は、石原軍団ファンの感情を逆撫でする言葉が
続きますが、気にせずご覧下さい。(自分勝手やな)
有名な2大作品は、
「ナーゲ警察」(「ー」の位置が違うような・・・)
戦車や装甲車まで登場し、犯人を逮捕するためなら、
市民の犠牲もいとわない、徹底的に叩きつぶす
「ナーゲー軍団」として犯罪者から恐れられ、
次第に市民の反感を招く最悪な結末のドラマ。
そして「ナーゲーに吠えろ!」
ナゲー国警視庁・臍曲警察署刑事の不祥事を描いたドラマ。
(やっぱり、曲がりくねってますよね、ヘソ)
お互いをニックネームで呼び合い、
例→ブス・ナゲさん・ゴキさん・ソーリ・スパゲティ・ナゲパン・敵刺す
ボンボン・アシックサ・ジャージ等々・・・。
中でも、精神消毛戦で抜けた髪の毛を手に、
「なんじゃこりゃああああああ!」と
ドサッと倒れ込む、ナゲパン刑事の殉職シーンは
(そんな事で殉職するのか?脱毛は命取りです)
今でも、冥シーンとして現在も毎日が殉職中であります。
※ 本当のドラマ中、数々の殉職シーンは、マジで感動モンでしたっす!
ジョーダンはここまでにして、
ホントに小さい頃から、楽しませて頂き、
この場をお借りしまして、
一視聴者として、石原軍団の皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございました!長い間本当にお疲れ様でした!
時間の流れには逆らえないなと痛感する、昭和のナゲーです。
ということで、殉職ナゲーブログ
3日間のお休みをいただきまして、
(会社内抗争が活発化したため)
殉職一歩手前の状態で再開して参ります。
本日は「昭和」ということで、
小ナゲーが撮ったオヤジカメラ汚写真を
ご紹介して参ります。
なんじゃこりゃああああぁの写真をご覧下さい。
単コロ運転中の「EF58形直流電気機関車」
登場当時は、「いぶき500形」のような
箱形デッキ付きの車体の持ち主でした。
お馴染みの「DE10形ディーゼル機関車」
主な用途が入れ換えようなので、運転台は横向き。
ナゲーの頭髪同様、急速に勢力を減らしています。
「117系」
名鉄電車に対抗する目的で、
関西地区に続き、東海地区にも投入された
オール転換クロスシートの豪華車両でした。
「東海ライナー」と命名され、
毎時2本運転を実現し、ちょっとだけ名鉄から
客を奪うことに成功しました。
それまで岐阜~名古屋間は、1時間に快速1・普通1の
「乗るな」と言わんばかりの列車本数でした。
おそらく1984年頃。日本国有鉄道・岐阜駅。
「荷物列車」を牽引する山男「EF62形電気機関車」
老朽化した「EF58形」に代わって、
信越本線の貨物減少で仕事を失った、
山岳路線専門の「EF62形」が東海道筋に配置転換。
荷物列車ほぼ専用として走り始めましたが、
山岳専門のため、連続でスピードを出さなければいけない
平地線での走行で故障が続出。
東海道での活躍は短命に終わりました。
昔は宅急便のような会社が無かったので、
遠隔地は荷物列車で荷物を運ぶのが主流でした。
(やはり全部見えるより、チラッとが良いですね)
国鉄時代は、行き先幕もいい加減な表示の時が
たくさんありました。
急行形でも普通列車にも使用されました。
左側は、「急行のりくら・名古屋行き」
特急よりも急行の方が列車本数は多かったです。
急行といえども普通車は、
姿勢が良くなる直角座席。
キハ58系も、ほとんど姿を消しました。
国鉄・岐阜駅は、昼だと人影が全く無くなり、
ド田舎駅のような雰囲気でした。
毎年秋の時期になると、
普段、列車に乗ることが出来ない方達
主に、体の不自由な方、病気の方やお年寄りの方達に
列車の旅を味わってもらおうという企画で、
全国各地で走った「フレンドシップトレイン・ひまわり号」
当時は、バリアフリーなる考え方は一切無く、
駅は階段だけ、列車は段差だらけ、スロープも無し、
なので、体の不自由な方は列車に乗ってはいけない状態でした。
なので1年に1度、全国でこのような企画が催されました。
旅と言っても日帰りで、確か蒲郡かその辺りまでの
日帰り旅行の企画だったと思いますが、
発車式は盛大に行われました。
(男子専科に目が奪われるナゲー。実はこのお店知ってます)
地元高校ブラスバンド部の皆さんの演奏で出発式。
列車には、普段列車に乗ることがない、
体の不自由な方、その家族の方、
ボランティアの方が多数乗り込みました。
撮って歩きましたが、みんな嬉しそうな顔で
電車の感覚を楽しんでいるようでした。
現在はバリアフリー化が進んで、
このような企画が必要なくなったのか、
ひまわり号の姿は見られなくなりました。
どんな人でも普通に電車に乗れる時代になる
きっかけを作り出した列車でした。
こちらは岐阜駅。
線路のバラスト(砕石)をばらまく貨車をつないだ貨物列車。
「ホキ800形ホッパ車」
昭和33年から49年にかけて製造。
現在でも、JR東・西日本さんで運用されています。
主に終電終了後、線路の保守で
石をばらまく仕事をする貨車。
夜中の仕事を終えて、日中に帰ります。
車体横の独特な「名」の文字は、
「名古屋鉄道管理局」所属の貨車という意味でしょうか。
前回、同じような写真を出しましたが、
今度は「食堂車」が1両、機関車の次に挟まれてます。
確か、「リバイバルつばめ」として運転された車両の
返却回送だった記憶があります。
お召し列車運転直後だったのか、
お召し整備されたままの美しい姿で走ってきました。
※ お召し列車に使用される車両は重整備され、
再塗装、磨き上げ、機器も整備され、
万が一の故障時に、予備車両も整備されました。
お召し列車運転前は、必ず露払い列車も運転されました。
ナゲー国女王陛下のお召し列車は、
いつもお忍びなので整備されません。
小ナゲーが撮ったオヤジカメラ汚写真、
もう少しありますので、
また折を見て公開致します。
(一部トリミング有り。緩い時代の撮影ですのでご了承下さい)
コロナ時代、さわりたいけど、さわれない・・・・。
今日はこの辺りで失礼します。