民主的共産主義軍事政権下のナゲー国と
(ナゲー異常事態宣言・ナゲー外出禁止令発令中)
勝手に友好国のミャンマーで
軍事クーデターが発生しましたが、
(日本国は平和で良かったですね)
ナゲーの通うブラックホール企業の職場では
上司による「グンゼクーデター」が頻発しており、
※ グンゼクーデターは、軍事クーデターより恐ろしい。
昼食時にその上司(50代後半)が帰る着替えをはじめると、
シャツをINする動きが活発化し、
昼食を食べている社員たちを次々に制圧、
上司によるグンゼ政権が支配するという動乱。
度重なる上司のグンゼクーデターに、
ナゲーとともに抵抗を示す同僚もいますが、
ことごとく、その姿が目に焼き付き、
抵抗力を奪われるので、これは!
ナゲー国でもグンゼクーデターを起こそうと思うナゲーです。
※ 股間部分がすぐに、インちゃん・タムちゃんになるので
ブリーフは履けないナゲーですけど?
グンゼ愛好家の皆様、失礼致しました!
ということで、ナゲーブログーデター
本日も、おそらく1977年のオヤジカメラ汚写真
ご紹介して参ります。
家庭内クーデターには、じゅうぶん御注意下さい。
前回から引き続き、おそらく1977年の
豊橋駅の電車達のご紹介です。
線路は同じ構内にありながら、
少し裏通りに入った所に駅舎がありました。
停車中の「1730系」
元・東急電鉄デハ3550形。
東急さんからは、名鉄さんにも
ラッシュ時対策の助っ人として
違う車両が入線していて、
豊橋鉄道さんは、現在全ての車両が東急さんのお下がりに。
隣にはスーパーがあって、
たくさんの買い物客が居ました。
まだまだ、家庭に数台のクルマを持てる
時代では無かったので、移動手段はケッタマシーンが主力。
「14系座席車」が入ってきたので撮ったようです。
もうほとんど、見かけなくなりました。
飯田線のホームへ。
80系は居なくなり、
「スカ色」の旧型国電がゴロゴロ。
国鉄51系「クハ68410」
1936年~製で、戦前・戦後を横須賀線で
活動していたみたいです。
この色が美しいですね~。
都会を追われ、飯田線を終の棲家にして
ノンビリ走ってました。
現代の車両にはないドッシリ感。
1両ずつ、いろんな特徴があって
ホントに千差万別。
同じ形式でも顔つきが違ったり、
ずっと見てても飽きませんでした。
国鉄42系「クモハ53000」
旧型電車の形式は、多岐に亘っていて、
ナゲーでは理解不能。
この頃の飯田線は、どの電車もお客さんで
すし詰め状態でした。
更にこんな色の電車も!
国鉄51系「クモハユニ64000」
客室と、郵便・荷物室が合体した車両。
国鉄~JRでは以下のように車種分けしています。
ク→制御車。運転室が付いている車両。
モ→モータ付きの電動車。
ハ→3等車(普通車)「イロハ」で客層を3段階に分けていた頃の名残。
ユ→郵便車。
ニ→荷物車。
全国各地を転々として、昭和53年に
飯田線へ仲間入りしたようです。
来たばかりだったのか、車体は国鉄標準色だった
茶色にしか見えない、国鉄用語で「ぶどう色2号」に
塗られていました。
顔にホクロが付いていた「クハ68403」と並ぶ
「クモハユニ64000」
行き先板が付くだけで、
都会の電車に見えますね。
この汚写真を撮ったことだけは、
オヤジに感謝しているナゲーです。
小さいから、豊橋なんて遠いところ、
おいそれと行けないですからね。
これだけになってしまいました。
もっと早く、この世に降臨しておくべきだった!
それまで溶解人間だったので、実態が無くて・・・。
もっと見ていたかったのですが・・・。
「113系」に乗って、潜伏先の岐阜へ
帰宅させられるナゲーでした。
おそらく1977年の豊橋駅、オシマイ。
ニャンコクーデター勃発か!
今日はこの辺りで失礼します。