最近は「☆★ハラスメント」
略して「☆ハラ」という言葉が
氾濫しておりますが、
(パワーハラスメント、もれなく体験中のナゲー)
なんでも「ハラ」を付ければいいと思っていませんか?
非常に困るんです。
密かに傷ついてるナゲーが居ることを
分かってほしいんです。
ナゲー国でも「☆☆ハラ」問題が横行しております。
「デブハラ」とか(ハラを腹に置き換えてます)
略さないと、「デブ腹スメント」
「サンハラ」
略さないと、「三段腹スメント」
「ブヨハラ」
略さないと、「ブヨブヨ腹スメント」
これ、みんなパワ腹ですよね?
訴えますよ!
じゃあ、鮭のハラスはどうするんですか?
「ハラスハラスメント」?おかしいですよね。
(あんまり関係無いと思いますが)
その他にも「ハゲハラ」とか「ジャマハラ」とか
「ソクハラ」とか(ソックスハラスメント)
マジで、訴えますよ!
毎日が「ハラハラ」のナゲーです。
(ハラハラハラスメント)
ということで、ハラハラしないナゲーブログ
本日は、2000年3~5月期の
JRさん中心の鉄道汚写真
ご紹介して参ります。
ナゲブロハラスメントには、じゅうぶん御注意下さい。
2000年3月5日。
JR東海さん「313系」も
着々と勢力を拡大し、
2両編成も大量発生。
いわゆる「ブツ6」編成の列車も登場。
列車種別も「特別快速・快速・区間快速」の
3種類に整理され、
岐阜~名古屋間「18分運転」にスピードアップ。
名古屋鉄道さんから、シェアを完全に奪い去りました。
ナゲー国でも、ナゲーの地位は完全に奪い去られています。
2000年3月6日。
定番の、関ヶ原~柏原間。
2000年3月9日。
溶けたと思ったら、また積もる雪。
JR東海さん「EF64形66号ユーロライナー専用機」が
エスコートする
JR西日本さん金沢支社「わくわく団らん」お座敷客車。
2000年3月18日。木曽川駅。
長年暮らしてきた、大垣車両区を追い出され、
神領車両区へ引っ越す「113系」
313系勢力拡大で、撤退を余儀なくされました。
まさに任侠、仁義なき戦い。
※ 踏切上から撮影しております。
国鉄~JRの車両たちと、
引っ越しの挨拶を交わします。
まずは「311系」にさよならを告げ
所属組織は違えど、
国鉄時代からの戦友
JR貨物さん「EF66形0番台」と別れを惜しみ
追い出した張本人「313系」に
敗北宣言をして、113系は神領へ旅立ちました。
2000年3月28日。
全て岐阜止まりになりました。
今まで大垣まで快速4・普通4本走ってましたが、
名古屋鉄道さんの客を更に奪うべく、
岐阜から座っていける列車を大増発。
そのあおりで、供給過剰と判断された
岐阜~大垣間は、一気に列車本数半減!
地元新聞にもデカデカと大問題化され、
大垣までの沿線首長も陳情しましたが
JR東海さんは頑なに拒否。
今までの列車利用者が、一気にクルマに移行したため
岐阜から大垣までの極道21号線は大渋滞に陥りました。
(まさに極道のJR東海さん)
他社エリアへ出張中の、何かの団体列車。
JR西日本さん「DD51形+12系客車」
パッと見、JR貨物さんか?
JR東海さん「EF65形111号機」牽引の
レール運搬列車。
これも他社エリアへ出張中の
JR東日本さん千葉付近が拠点の「183系」
たぶん、センバツ高校野球応援臨時列車の
役目を終えた回送列車だったかと。
第1試合だと、新幹線でも間に合わないので
往路は夜行で来る場合が多かったです。
2000年4月23日。
313系が登場するまで、
ほとんどの列車がロングシートだった
中央本線を走る「211系5000番台」
競合する路線が無いところは、
徹底的に手を抜く感じですが、
最近は、クロスシート車をどんどん投入しています。
JR東海史上、最大の汚点とナゲーは思う
大失敗作「セントラルライナー」
全車両座席指定制度を導入し、
座っていける列車として、1999年に登場。
名前まで公募しての、力の入れようでしたが、
クルマ社会の名古屋地区では、ソッポを向かれ、
3つの問題点
1.料金¥310が高すぎる。
2.快速列車の置き換えで全車指定席になったので、
料金不要列車の利用機会が減った。
3.指定席なのに、多治見~中津川間は料金不要にしたので
多治見以遠から乗った人は移動や降車を強いられる。
以上のような理由から、
最終的に「ゼニトラレルライナー」なんて汚名まで着せられ、
2013年に、あえなく廃止されました。
運転開始初期は、専用車両の投入が間に合わず、
運用間合いで、特急用「383系」も使用されました。
「ゼニトレヤ」と言われてます。
これもまさしく、任侠列車やね。
(ゼニダセヤ!ゴルラァ!みたいな)
仮の姿の人生として、ナゲー最大の汚点は
ツメが甘いこと。
ピントも甘いし、甘いの大好きだし。
JR東日本さん「EF64形36号機」が牽く
「お座敷客車・ゆとり」
元々は、国鉄時代に全国で初めて登場した
欧風客車「サロンエクスプレス東京」
ジョイフルトレインのさきがけとなった車両でした。
ジョイフルより、ココスが好きなナゲーです。
古虎渓駅は、大好きな駅なんですが、
難点は、クルマの駐車スペースが無いこと。
制御付き自然振り子式で、
カーブ出入り口でスムーズに車体を傾ける機構で、
内側へ大きく体を傾けて、
カーブを制限+35km/hで走り抜けます。
この電車になってから、
飛躍的に「ゲボ」「連れゲロ」が少なくなったそうです。
JR東海塗装の「キハ40系」
手前は「キハ47形」で、通勤通学対策で
デッキ式出入り口をやめて
両開き式扉を中寄りに配置した車両。
顔はどれも同じなので、
見分けがつきません。
快速みえ色で統一された編成で
「快速さわやかウォーキング飛騨路号」
各地で開催されたJR東海主催のウォーキング時は
臨時列車が運転されました。
先頭は「キハ65形」
12系客車に準じた車体をディーゼル化したような感じ。
かつての「急行のりくら」を思い出させる列車として、
ウォーキング参加者よりも、
ドマニアさんの方がたくさん乗った列車でした。
2000年5月3日。岐阜~木曽川間。
まだ懲りずに運転されていた、
JR西日本さん「381系・臨時急行くろよん」
急行なのに、名古屋~岐阜間で快速に抜かされる列車でした。
やはり上り列車の大阪行きは、ガラガラ状態。
せめて、「急行」の文字を出してほしかった。
381系には急行幕は無いのかも。
あまり目玉的列車が無かった
ハラスメント状態の
2000年3~5月期の汚写真でした。
もういっちょ、グダグダノンちゃん。
アゴを乗せるのが好きでした。
1999年9月頃。
今日はこの辺りで失礼します。