ふたたび勝手に名鉄でんしゃまつり in 2001 パノラマカー40周年
ここのところ、ナーゲの休日が
※ ローマの休日みたいな言い方ですが
全然ロマンチックではなく、ホボ奴隷。
オヤジの病院・買い物付き添いで
ほとんど消化されているこの頃ですが、
去る5月23日、悪夢の一日が始まりました。
とうとう、かかりつけのお医者さんに
オヤジ入院勧告を受けました。
かねてから、「食欲無い、胸がツカエル」
と訴え、一日1食のようになっていて
お医者さんから開口一番「顔が悪いですね」
(これは、ナゲーに言っているのか?まさかね・・・)
「入院した方が良いと思います」
これが、午前9時半頃。お手紙を書いてもらい、
胃ガン手術をした大病院に電話して、
「11時30分までに来られますか?」
ダッシュで(オヤジはヨチヨチ)まわしをして、
※「まわし」→用意をするという意味の方言。
決してナゲーがまわしをしてドスコイすることではない。
少しは当たっているが。
女王陛下にあっては、大変僭越ながら、
病院まで付き添って頂くことにして、
大慌てで、いつもの大病院へ11時に到着すると、
いつもはしない「体温計検査」が。なんで今日だけ?
ここで、想定外の出来事が!
「お父さん、37.4°ですよ!ちょっとお待ち下さい!」
ま・さ・か・・・・・・・・。
地獄の発熱外来行き決定!
待ち受けていたのは幸せの行動制限&夢のPCR検査!
クルマに3時間以上缶詰&診察+検査結果2時間待ち!
トイレも汚い専用便所、院内コンビニ立ち入り禁止。
昼飯にあぶれました。
ここでオヤジが、まさかの妖精だったら
(あの、オヤジが妖精なワケがない!妖精はメーテルだけ!)
そっちの妖精もキモイですけど、陽性だったら・・・。
ナゲー国は封鎖、冗談抜きの非常事態宣言。
んなことを考えてたら寝てしまい、
窓を叩かれたのは午後2時半頃。
「陰性でしたので、外科へ行って診察と入院の手続きを・・・」
ああああああ!良かったぁ!
でも、もう1日オワタ・・・。3人ともクタクタ。
オヤジに「入院した方が安気やで」と言い聞かせ、
この日は田中麗奈(似)先生はお休みなので
違う先生から、
「どこが悪いかわからんけど、喰えんではアカンね」
現在、この病院は面会禁止。持ち込みも禁止。
何らかの指示は、病院からの連絡待ち。
手続きも含めて、全て終わったのは午後7時。
ナゲー国公邸の1階占拠状態が
オヤジの病院亡命で一時的に解放され、
喜んで走り回る、ナゲー国の
マルちゃんと、クロちゃんです。

喜んでいるという表現は、ナゲーには難しい・・・。
ということで、亡霊ナゲーブログ
本日は、ふたたび
勝手に名鉄でんしゃまつり in 2001ー3~7月期
開催して参ります。
実は、この年(2001年)は、名鉄さんにとって
また、名鉄ドマニアのナゲーにとっても
大変悲しい年になりました。
その内容については、今後まとめて
ご紹介して参りますので、
その分、関係ない汚写真を一気に放出致します。
病院へ亡命するのは、病気の時だけにして下さい。
※ ナゲーブログを見ると、病気になりますので
病院に亡命して頂いて大丈夫です。
2001年3月26日。

お馴染みなので、解説は割愛します。
「7000系・パノラマカー7035編成」
前面にホース関係がゴチャゴチャ付いてますが、
徐々に撤去され、スッキリな顔になりました。

後ろには「5500系5503編成」
性能はパノラマカーとホボ同じ。
ただ、台車が「コイルばね」といって、
「空気バネ」と違い、巨大ばねが車体を支えており
走ると、飛び跳ねるような感覚でした。

「6500系・トップナッンバー6501編成」
ヘッドライトが4つ目なので
遠くから見ると、パノラマカーと間違えました。

大多数の車掌さんに嫌われた
「7000系6両編成の普通列車」7025編成。
運転士さんは2階なので、
車掌さんのドア開閉のお手伝いが出来ず、
しかも4両用の駅ホームも有ったので、
後ろ2両は締切扱いにしないといけない駅もあって、
終点に着く頃には、車掌さんはヘロヘロに。

茶所検車区の覗いてきました。変態。
「5500系」と「7500系」

「7000系7025編成」
最後まで白帯を巻かれませんでした。
あまり使わなくなった行き先名の上に、
パソコンで刷ったような字で
貼り紙をした「豊川稲荷行き」

同じ日の茶所検車区またまた覗き。
歴代特急用車両が並びました。
「1800系・7700系・7000系」
2001年4月28日。
600V線専用の「岐阜工場」

日中は出番が無くなった左側の「モ570形」
馬面電車「モ600形」と昼寝中。

田神線を走る、複電圧車「モ880形モ883」
600Vと1500V、電圧の違う路線を走ったので、
当時の技術では、電圧が違う冷房装置を付けられず
晩年になってようやく改造で付けられました。

路面区間から専用軌道に進入する「モ887」
急カーブで、ミシミシ言わせながら走りました。


元・札幌市電の「モ870形モ875-876」
こちらも晩年に複電圧車に改造され
冷房も付けられて、
新岐阜駅乗り入れを果たしました。

「市ノ坪」駅でモ870形と並ぶ、
美濃町線の救世主のツモリで登場した「モ800形」
ナゲーの憶測では、
最初から他の会社線へ譲渡する前提で
製造されたのではないかと怪しんでいます。
わずか4年余りの活躍でした。
2001年6月1日。
この日はパノラマカーにとって、
記念すべき日でした。
1961年6月1日にデビューして
40周年を迎えました。
※ ナゲーは、しぶとく50執念をまもなく迎えます。
執念深い。執着がハゲしい。


「7000系7005編成」
ナゲーの記憶では、
特に盛大な記念行事なども無く、
記念品の販売や、
ご覧のような、記念系統板の掲出で
ささやかなお祝いだったと思います。

茶所検車区から寝起きした
「5500系5513編成」含む清一編成。

急行になって折り返してきた「5503編成」
この日はもう1編成、
パノラマカー40周年記念列車が
走りましたので、
場所を変えて待つことにしました。
記念列車といっても、
通常の列車に記念系統板を付けただけですが。
東笠松駅。

「1200系パノラマsuper一般車」

その増結用「1800系・1850系」は
ヒマな日中は、普通電車で走りました。

「6500系6511編成」
フォグランプが「LED」に変更になりました。
当時のLEDは「赤・緑・黄」しかありませんでした。

「6800系」
6000系列は、モータ音がうるさいので
頑張って走ってるな感が、
ヒシヒシと伝わってくる車両です。

「3100系」インバータ電車。
3000系列の車両は、
見分けをつけるため、運転席下に
「ECB」のプレートが付けられました。
(Electric Command Brakeの頭文字だそうです)
エロ・チビ・ボケではありません。
(ナゲーのことかな?)

6両編成時代の「5700系」

現在では、一番名鉄らしい顔を保った
ナゲーの好きな「6000系6008編成」

東笠松駅ホームからは、
鉄橋を渡ってくる列車を
正面から狙えました。
パノラマカー40周年記念系統板付き
定期列車の汚写真を連続で。


最若番の「7001+7003編成」
粋なはからいがなされました。


記念行事も無く、
ドマニアさんが集中して混み混みになることもなく、
淡々と、静かに40周年記念は終わりました。
2001年6月11日。茶所~加納間。


線路際の空き地から。
2001年7月18日。茶所検車区。

突っ込み線で昼寝中の「6000系6034編成」
中日ドラゴンズ応援板付き。
名鉄電車は2扉車が主流でしたので、
3扉車はアピールするため、
ドア半分が白→灰色に塗られていましたが、
とても面倒だし、3扉車も定着してきたので、
この前年から、真っ赤に戻されるようになりました。
窓に柵が付けられた車両。
ホームに設置されたワンマン用機器に
頭がぶち当たるとダメなので
頭を出せないように、というか、
6000系は3分の1しか窓開きませんけど。
ふたたび勝手に名鉄でんしゃまつり、
大量放出、失礼致しました。

こちらは、ガムテープで喜んでいる
ノンノちゃん。
2000年4月頃。
今日はこの辺りで失礼します。