大合理化に踏み切った名古屋鉄道さんの2001年その1 さようなら竹鼻線・江吉良~大須
まもなく人の皮を被った非人生も
半世紀の50年を迎えようとしておりますが、
数限りない別れを経験して参りました。
これからも、出会いより別れの方が
無数に増えていく年代に突入します。
例えば、
※ ナゲー国独自紙幣には、ナゲーの肖像画が描かれているが
世界では1ナゲー=通貨として非公認なので
仕方なく日本国通貨を使用中。
神との別れ(風呂場で毎日、別れの儀式を。字が違うね)
一番悲しかったのは、
一緒に暮らした、ネコ達との別れだったです。
今も尚、喪失感に苛まれています。
あと何年、人間の皮を被って居られるか
分からないナゲーですが、
ナゲーがこの世とお別れするときは、
ナゲー国葬として、
無関係各国首脳を招待するつもりですが、
たぶん、近くのドブ川に
「放流葬」されるナゲーです。
※ 任侠なので、簀巻きにして沈めるのも有りかなぁ。
ということで、お別れ出来ないナゲーブログ
本日から、しばらくお別れ特集としまして、
名古屋鉄道さんにしましても、
地域の方たちにとりましても、
ドマニアナゲーにとっても、
最大の悲しい出来事があった2001年。
名鉄さんが、大なたを振るった
「一挙4線区・1列車の廃止」を断行した
悲しすぎる廃止までの様子を
汚写真でご紹介して参ります。
ハンカチ・はな紙をご用意して下さい。
名古屋鉄道さんは、
多くの赤字路線を抱えており
1998年に一挙5路線の廃止を宣言。
鉄道線に限って言えば、
1年後には自由に廃線に出来る制度となっており、
地元の同意は必ずしも必要ないので、
一気に廃線表明となりました。
同時に、採算が合わなかった
廃止表明となりました。
三河線を除く路線は、地元との合意に達し、
2001年9月30日をもって
運行終了が正式に決定。
地元自治体が、5年間の赤字補填と
利用客増加への取り組みをするということで
保留になり、明暗が分かれる結果となりました。
それでは、各路線ごとに撮った、
最期の現役汚写真、
ご紹介して参ります。
最初に、廃線のイメージが一番薄かった、
竹鼻線(訓読みでお願いします。決してチ☆ビ線とは言わないで)
電圧1500V路線の廃止としては、
約40年ぶりの廃線となりました。
まずは既出の1枚。
2000年7月3日。
柳津~西笠松間。
只今ナゲーのオヤジが入院している病院の近く。
「千代保(ちよほ)稲荷神社」最寄り駅になっておりました。が、
実際にはバスに乗り換えて、
十数分もかかるところにあって、
とても利用できる状況ではありませんでした。
地元では「おちょぼさん」の通称で、
串カツ・ナマズの蒲焼きが有名です。
撮影日は前後しますが、
起点側から順にご紹介します。
2001年7月25日。
1982年の羽島線開業時に復活した駅。
直進が大須方面、
右は新幹線「岐阜羽島駅」方面。
羽島市役所前駅にほど近いため、
現在は宅地化が進み、全列車停車に。
大須方面に乗っていく人も居るんだ・・・。
と思いながら、「大須」表示の列車を撮影。
江吉良~大須間は、行き違い設備も全て撤去され
1本の列車しか入れない「スタフ閉そく式」
羽島市役所前駅でスタフ受け渡しを行っていました。
「牧野駅」
行き違い設備の痕跡が残っていました。
1日を通して30分間隔で走っていました。
だけど、ガラガラ状態。
遮断機が無い踏切も、たくさんありました。
「長間駅」
運用の都合で、パノラマsuper増結用の
1800系もしばしば入りました。
依然、住宅地を進みます。
長間~中区間を行く1800系。
線路と宅地の境には、
柵も何もありませんでした。
東海道新幹線との交差地点。
1日中張り付いていれば、
上手いこと、交差する画像が撮れたかもですが、
タッチの差で撃沈。
今度はナンチャッテパノラマカー
たった1編成のみの「7100系」が来ました。
方向幕があるのに、系統板を付けているのは、
非常に離れているため、
自動と言いつつ、幕を見ながらスイッチを扱い
「ここだ!」って場所で
止めないといけない手動式電動幕でしたので
折り返し時間が短い大須駅では、
「新岐阜」が出てくるまで時間がかかりすぎるので
板の方が簡単ということで系統板に。
「中区駅」
なぜ「中区」なのかは不明。
町名は「羽島市上中町中」
相変わらず、住宅地の真っ只中。
「市之枝駅」
ここも行き違い設備があったんですね。
ホームは島式の形になってます。
空いたスペースは、地元の方の花壇に。
ここからちょっと田舎のムードになります。
お寺さんも増えてきます。
羽島市南部は、大穀倉地帯。
一面の田んぼが、正確な四角形で並んでいます。
「八神駅」
大きくカーブして西へ進路をとります。
駅の周辺には、雑貨屋さんやら
いろいろ建ってました。
終点の「大須駅」。
2001年3月13日。
ナゲーホームに見えますが、
大須までの全ての駅は、
実は2両分しかありませんでした。
パラパラとお客さんが
乗ったり、降りたり。
6500系の4両編成。
後ろ2両はドア締切扱い。
運転士さんは、車内を移動して反対運転室へ。
先頭2両が、ホームから飛び出てます。
スタフ閉そく式なので、
出発信号機も無く、
時間になったら踏切ボタンを押して
発車していきます。
汚写真は前後しますが、停車中の列車。
昔は立派な駅舎がありましたが、
いつの間にやら、取り壊されていました。
イレギュラーですが、
オヤジカメラ汚写真から、
1981年頃の大須駅の様子。
駅員さんもちゃんと居て、
おちょぼさん行きのバスも出ていて、
それなりに乗り換え客で賑わいました。
竹鼻線は、いろんな車両が出入りしたため、
最後の日の前日まで、特別な装飾を
施されることもなく、
静かに、淡々と最期の日を迎えました。
2001年9月28日。
最期の日まで、あと2日。
ドマニアさんが群がることもなく、
一番寂しく最期の日を迎えた
路線ではないかと思います。
二度と見られない「大須」行きの列車を
記憶の片隅に植え付けました。
最期の日までの様子でした。
次回は、「揖斐線」をご紹介致します。
至福のガムテープのあとは
寝ぼけ気味の、ノンノちゃん。
今日はこの辺りで失礼します。