大合理化に踏み切った名古屋鉄道さんの2001年その3 八百津線
最近、読者さんへの記事のでの
コメントのやりとりの中で、
「視力の衰え」についてお話しを交わしましたが、
ナゲーはついこの間まで
「両目視力2.0」を誇っておりました。
特別イイモノが見えるワケではありませんが
(例えば、アレとか、あんなトコロとか・・・・)
世間一般的なお話しとして、
視力がいい人は、老眼に早くなる・・・。
実際、始まりました。
ファインダーを覗かない、左目の視力が、
某国内閣支持率のように、
「1.0~1.2」まで下がっていました。
右目も「1.5」相当まで下落。
とうとう、瞳孔開散が近付いてきたか!
両目の視力がアンバランスなので、
遠くがぼやけて見えちゃうんですよ~。
100均の老眼鏡は
もっと目を悪くすると言われていますが、
※ 老眼というと、ちょっと悔しいので言い方を変えましょう。
ガンロー(ランボーみたいでいいね!)
ローギャン(画家みたいでカッチョエエね)
ガローン(文字入れ換えただけやねーか)
お構いなしで、細かい活字を見るときは
お世話にならざるを得ない状況に。
(女王陛下を見るときはメガネ無しが良いかも・・・)
以前、テレビ番組で、
途中で全盲になってしまった方が、
また写真を撮りたい!というお話しを
見たことがありまして、
思い思いに、いろいろ撮っておられて、
見える方に解説してもらったり、
点字で立体化して感覚で感じたり。
途中で視力を失うことは、非常に恐いことですけど、
写真は心で撮るものなのかと感じました。
すごいなぁ、ナゲーだったら
また撮りたいって思えないかもしれない。
その前に、心で撮ったら
全て真っ黒な汚写真になるナゲーです。
(腹も心も真っ黒だけど、頭だけは肌色)
ということで、ブラックナゲーブログ
本日も引き続き、
2001年限りで廃止になった、
名古屋鉄道さんの4路線・1列車のうち、
今回は「八百津線」をご紹介して参ります。
八百津線に関しては、
ナゲーにとって、忌まわしい記憶しか残ってませんが、
赤裸々につづった記録はこちら↓
いろいろありましたが、
悲惨な過去と向き合わなければ
ナゲーは前へ進むことが出来ない!
ここは、血が滲むほど歯を食いしばり
(それほどのことか?)
フラッシュバックに悩まされながら
(後光のことか?ハゲ?)
撮影して参りました。
「八百津線」は岐阜県の東部、
たった7.3kmの短い路線でした。
当初から赤字に悩んだ名鉄さんは、
1985年、今となっては時代と逆行するような
運転を切り替え、赤字を圧縮させようと
努力をして参りましたが、それも空しく
路線廃止となりました。
旅客のほとんどが地元高校生でしたので、
大問題に発展しましたが、
バス増便やノンストップ便の設定、
学校近くまで乗り入れる等で問題は解消。
最期は静かな幕切れとなりました。
それでは、撮影日は前後しますが
駅順にご紹介してから、
八百津線のフーケーを
コメント少なめで公開して参ります。
親子の確執には、じゅうぶんご注意下さい。
2001年7月17日。
1987年までは「伏見口」という名前でした。
駅を出て川を渡った対岸が御嵩町「伏見地区」で、
地元・可児市の市制施行時に、
近くにあった「明智城趾」にちなんで改名しただけ。
付近は田んぼが広がる、かなりの田舎ですが、
駅だけは、結構なターミナル。
八百津線は日中1時間に1本まで
列車本数が減らされていましたが、
名古屋方面直通電車は15分ヘッドの時代。
3本の列車が集中する時間は、なかなか壮観でした。
左側はレールバスから進化した
富士重工製LE-DC「キハ30形」
廃線を記念して、方向幕から
系統板を使用するようになっていました。
次の「兼山口駅」(草むらから撮影・トリミング有り)
かなり高台に設置されていました。
駅の形からして、
過去には行き違いが出来たみたいです。
系統板以外は、普段通りのキハ30形。
高校生下校時は、チョー満員になりました。
「兼山駅」
中間駅で駅舎があったのはこの駅だけ。
明確に行き違い線の痕。
例外なく、この時点ではドマニアさんの姿無し。
「中野駅」(サンプラザはありません)
田んぼの中のポツン駅。
忌まわしい記憶が、
ナゲーの脳内でグルグル廻り、
吐き気と闘いながら撮影・・・。
(目線が違うでしょ!いやいや・・・・)
当時と風貌は変わらない「八百津駅」
高校生大量発生の前に退散します。
駅から学校までは、結構な距離がありました。
では、八百津線点描へ。
2001年9月22日。
廃線8日前。満員でした。
新可児行きは、系統板無しの通常スタイル。
2001年7月17日。
明智~兼山口間。
明智駅を発車すると、大きく左へカーブし
「可児川」を渡ります。
以前は国道21号線だった道路上から。
沿線には、終点まで架線柱が
16年も残されたまま。
ローカル線は、田んぼが定番。
給油しないといけないので、
昼間に1本、設備がある「新可児」行きになります。
草ボーボーも定番ですね。
2001年9月22日。
兼山~兼山口間。
山間部の様相です。
線路際へ上がれる道を発見したので。
兼山駅。
昔は有人駅だったんですけどね。
ツバメちゃんが、駅を管理しておりました。
2001年9月22日。
兼山駅。
2001年7月17日。
兼山~中野間。
この辺りからは平坦線に。
キハ30形も、快調に飛ばします。
中野~八百津間。
終点・八百津駅。
丸山ダム建設用の線路も有ったようです。
広い敷地なので、資材とか置いたのかな。
チラッと出しましたが、
廃線10日前ぐらいから、
「さよなら八百津線」系統板が
掲出されるようになりました。
地元民よりも多くのドマニアさんが駆けつけました。
明智駅に進入します。
ナゲーも1往復乗りました。
心に深い傷を負ったあの頃と、
ほとんど変わらない風景。
オヤジの呪縛から抜け出せるのか!
この光景も、まもなく思い出に。
今は海外で余生を送る、キハ30形。
八百津駅には、最終日まで
日中は駅員さんが配置されました。
新可児駅からの直通列車。
御嵩方面のホームから発車するシーン。
2001年9月28日。
廃線3日前。
新可児で給油を終えたキハ30形が
広見線の線路を走ってきました。
学校前~明智間。
単独の駅名表示がされた昔ながらの
系統板を廃線記念で掲げています。
御嵩方面のホームに到着。
八百津からの列車を待ちます。
廃線3日前でも、ドマニアさんもこの程度でしたからね。
いかに、冷めたムードが漂っていたかが分かります。
八百津からの新可児行きと、
犬山方面へ行く人は、
左側のレールバスに乗り換え。
ここでギューギューになりました。
4両編成から1両に乗り換えですもんね。
普段なら混まないけど、ドマニアさんが半数以上。
15分後には、また電車が来るから良いですけどね。
1日1回の「キハ30形」並び。
給油のために新可児へ向かいます。
こちらも昔ながらの系統板付き。
八百津線も、列車が行ってしまえば
静寂そのもの。
それほど悲しまれることなく
最終日を迎えることになります。
ナゲーの心の傷も癒えることなく・・・。
(そんなに、虎馬なのね。漢字で書くな)
八百津線の最終日までの光景でした。
(写真垂れ流しでスミマセン)
次回は、廃止される「特急北アルプス号」と
廃線記念で運転された、
懐かしの名称付き列車を
ご紹介して参ります。
よそ者に脅迫されるノンノちゃん。