美濃町の不自由線・その後 廃線部分と存置線部分
前回、もったいぶって予告だけ書いた
ブラックホール会社との攻防ですが、
数々の規則・法律違反が明るみになり、
なんと、ブラック会社の社員数より多い
22名の大監査団がなだれ込みました!
7月20日から、約10日間の日程で、
厳しい尋問、拷問が繰り広げられています。
※ こーゆー時に限って、その日ナゲーは休みでした。
規程違反に関しては、
本社と結託しているナゲーの敵が
場当たり的な変更をチョコマカ出し、
本社からは、嘘を突き通すよう指示が出る中、
警察から電話があったようで、
鉄屑窃盗と、有印私文書偽造の件で、
※ ナゲーのハンコを勝手に押して
退職金共済組合への文書を勝手に偽造し掛金減額。
情報公開請求して判明。
協力しないと来週から強制捜査に入るぞと連絡があり、
本社 & 本社と結託している職場は、
大混乱に陥っております!
社員1人ずつ尋問しているようなので、
ナゲーの順番が回ってきたら、
洗いざらいブチマケる予定であります。
ここへきて、ナゲー側の勝利が近づいて参りました!
ここまで応援して下さった読者の方々へ、
厚く御礼申し上げます!
まだまだ、会社や敵対パワハラ社員への制裁は足りないので、
ブラックホール会社の実体解明と会社消滅に向けて、
更なる暴露、告発を研究しているナゲーです。
(ナゲー独裁国家を敵に回すと、悲劇の制裁が待っている・・・)
ということで、内部告発ナゲーブログ
(汚写真は偽造ではありません)
ちょっと記録をしておかないといけないかなと
危機感にあおられて撮った
2001年の様子をご紹介して参ります。
ウソは最後まで、つき通して下さい。
1999年3月末日をもって廃線になった新関~美濃間。
終点の美濃駅に、2年半ぶりに行ってみた時の汚写真。
2001年10月26日。
広い構内のレールは全て撤去されていました。
駅舎は当時のままで、「旧」の文字が入ったぐらい。
歴史を紹介する石碑。
ゆかりのある車両、
「モ510形」と馬面「モ600形」が
展示されていました。
モ510形の車内は、イベント用に
座席が全て撤去されていました。
誰でも入れる状態でした。
系統板をなぶって、好きな行き先に。
時刻表はかなり昔のもに変えられていました。
ナゲーにとっては、
当たり前のフーケーだったんですけどね。
現在は、もう1両とカットモデルが増えてます。
一時期、ファンの方でグッズ販売や公開も
されていましたが、今はどうなったんでしょうか。
美濃駅に進入していた部分。
美濃~松森間の掘り割り部分。
松森駅跡。
神光寺駅跡。
2年間でこれだけですから、
現在は、もう跡形も無くなってるかと。
長良川鉄道・関駅には、
「ナガラ300形」と
廃車になった「ナガラ1形」の無惨な姿。
残存した美濃町線を、
岐阜方面へ辿ります。
というか、思いついたところで
少しだけ撮っただけですけど。
新関~新田間。
両側を道路に挟まれる区間。
まさに、ナゲーと同じ板挟み状態。
この区間の踏切、タイミングが合わないと、
結構恐い区間でした。
この日は、ホントに偶然に
整備を終えて出場したばかりの
ピカピカ「モ514号・試運転」と出会いました。
岩田~岩田坂間。
野一色駅まで、ナゲラッチしました。
野一色駅は、徹明町方面と新岐阜方面との乗換駅で、
数本の数珠繋ぎ列車が集まる要衝でした。
実は、新岐阜行き電車の続行運転だったモ514号。
馬面電車のあとを追っ掛けて走ってました。
野一色駅は、裏路地のような一角に存在していました。
道路とホームがツライチになってました。
今風に言うと、トランジットモールですか。
黄色い円板の「続行標」を付けて到着した
北海道生まれの「モ870形」関行き。
冷房・複電圧改造を受けて、
新岐阜駅初入線を果たしました。
モ870形を追っ掛けて走ってきた「モ590形」
この駅で折り返して、「徹明町行き」に。
モ590形は、近代化改造を受けて
冷房が付きましたが、顔つきが変わってしまいました。
徹明町は、街の中心部「柳ヶ瀬」に近いので
わりとお客さんは乗りました。
この並びも、もう見れませんね。
ちょっと見にくいですが、
遠くにちっちゃく写っている
モ590形「徹明町行き」が先陣を切って出発。
続いて、馬面電車「新岐阜行き」が追っ掛け、
最後に「モ514号試運転」がしんがりを務めます。
なんと、3続行運転!路面電車の成せる技。
踏切も気を付けないと、
立て続けに同方向へ3列車が通過しましたので、
行ったからいいわ!と思って渡ると
あとから来る電車に轢かれます。
ルールがあって、一定の間隔で動くきまりに
なっていましたけどね。
この後、車庫がある「市ノ坪駅」へ寄りました。
引き上げ線には、2両だけ生き残った
相棒の「モ513号」が休憩中。
大幅に列車本数が減らされていたので、
日中は昼寝することが多くなった「モ590形」
3両のうち、2両は近代化改造されました。
大正時代と、平成時代の融合。
モ510形は大正15年生まれ。
ジェンダーの時代ですが、
やはり女性は絵になりますね。
格好いいこと言ってますが、タダの変態。
ツボにも、はまりませんね。
周囲に回ると、留置車両が近くで見られました。
奥の方に押し込められた、
不必要になった車両達。
手前の2両は、まだ現役でした。
ナゲーも不必要になると、押し込められます。
敷地外から、死にゆく様を眺められました。
系統板を外された馬面「モ603号」
二度とパンタを上げることなく、死んでいきました。
用無しになった「モ575号・モ751号」
体型も洋ナシになった、ダブル用無しナゲー。
(肉もダブルし、それを燃料デブルとも言う)
雑草に埋もれて、墓場ですね。
鉄道車両も、母なる大地に還っていきます。
この4年後、この場所自体が無くなりました。
一気に岐阜の街が寂れるとは、
この時、誰も思っていませんでした。
2001年の美濃町線でした。
女王陛下御実家で、ご飯を食べる、
ブーちゃんとノンノちゃん。
仲よく食べているように見えますが、
取られまいと、唸りながら食べる2人でした。
2001年4月頃。
実は、本日をもちまして、
「はてなブログ」PROを卒業致しました!
3年ものあいだ、多数の読者様に支えられ
ここまで来ることが出来ましたこと
暑苦しく、御礼申し上げます。
ずっとそうですが、アマチュアとして
PROと嘘をつくことなく、
※ あくまでナゲー個人のことであります。
心を入れ替えまして、
(ホントは脳みそを電脳に変えたい。降格起動隊より)
最期の時までツマラナイブログを続けていく所存であります。
しばらくの間、変わらぬお付き合いを
よろしくお願い申し上げます。
※ スターがリセットされました。
汚写真枚数制限がありますので、
毎月の公開枚数が減る可能性があります。
今日はこの辺りで失礼します。