カクテルでも勝手に名鉄でんしゃまつり 2002 さようなら!いもむし
ナゲー国1番手として、
実験台になる決意で、
10月2日にワクチン接種決定したナゲーですが、
ここへ来て何と!
女王陛下が先に打つことが決まってしまいました!
この記事を出す頃には、
1回目の接種が終わり、
副反応で、大魔神に変身している頃だと思いますが、
何やら聞き慣れない「カクテル療法」というのが
実施されているようであります。
そうか、カクテルにすればいいのか!
ナゲー国でも早速、ナゲーが実験台となって
「アルコール消毒カクテル療法」を
休日前の夜ご飯時に、実施することとなりました。
消毒も出来て、治療も出来るので一石二ナゲ!
(ニナゲもいらんわ)
早速、治療薬の原料を調達に
蒸留酒の山へ出かけて
(柴刈りか!リカーマウンテンと言え)
新たな治療法「アルコールちゃんぽん療法」も
臨床試験する、人体実験ナゲーです。
(もちろん、自腹です)
ということで、ちゃらんぽらんナゲーブログ
本日もよろしくお願い申し上げます。
今回もいつも通り、
名鉄でんしゃまつり2002・6~8月期を
ご紹介して参ります。
ちゃんぽん療法は、飲み過ぎにご注意下さい。
2002年6月22日。
田神線・岐阜工場。
うち捨てられておりました。
ナゲーの行く末も、こんな感じなのか。
岐阜工場は、市ノ坪駅に隣接しておりました。
広大な敷地で、車両の改造もお手の物でした。
3年後には、跡形も無くなります。
まるでナゲーのように・・・・。
東京都電6000形と兄弟の「モ570形」が昼寝中。
「モ880形」
やっとこさ冷房改造されました。
市ノ坪駅を発車して、快走も束の間、
道路との合流地点へ向けて急減速。
ほぼ直角カーブを経て、
信号も何もない道路へ突入。
運転士さんの完全目視で割り込んでいきます。
電車の運転士さんに向かって
「みんなで築こう無事故道」なんて標識が。
ここの合流、結構恐かったですよ。
いきなり電車がドドーと出てくるので。
「6000系6047編成」
7種の顔を持つ6000系列。
変人ナゲー面相とは、ナゲーのことです。
(ナゲーって書いてんじゃん)
近くには、旧中山道が通り、
古いタイプの家も、まだ残っております。
パノラマカー「7000系7045編成」
近くに車庫があるので、
頻繁に回送電車が走り、
目の前の踏切は、1時間あたり52分閉まっている
と言われている開かずの踏切があります。
以前は、踏切警手が居て手動だったので
融通が利きましたが、
機械は融通が利きませんね。
ナゲーもカチコチなので、融通利きません。
「5300系5304編成」
車体だけ新しくて、走行機器は中古なので
同型の5700系に比べて
メチャクチャ揺れました。
2002年7月14日。
なんと!最初の汚写真の「モ750形」のうち、
1両は、谷汲駅で保存が決まりました!
「モ755号」は、
谷汲線で一番馴染みがある車両で、
雪が積もると、スノープロウを付けて
雪掻きするのが、モ755号でした。
「お世話になります」板を付けております。
誰かさんと違って、
帰るところがあるというのは
いいことですね。
(誰のことかなぁ?)
今にも走り出しそうです。
これで、谷汲駅のツバメちゃんも
毎年寂しい思いしなくてもいいですね。
2002年8月4日。
すっかり鉄道橋になった犬山橋。
この日は、ドマニアさんが
鈴なり状態でした。
目的は、これではなくて、
これはこれで、もう絶滅していますので
撮って良かったのですけど、
パノラマsuper純烈編成「1000系1004編成」
(鉄道写真は、まさに純烈)
実は、この世とお別れする車両が
来ることになっていました。
「3400系」いもむし。
すでに定期運用から離脱しておりましたが
2002年8月をもって、
完全引退、この世を去ることになりました。
最後の晴れ姿、急行運用で爆走します。
ものすごいドマニアさんの数でした。
ドマニア蜜状態を避けて移動。
各務原線・高田橋駅。
7000系7045編成の
車掌さんにとっては地獄の普通電車運用。
この駅も4両分しかホームの長さが無く、
車掌さんは、ドア扱いで
車内を前方・後方へ猛ダッシュしているはず。
新岐阜駅で折り返してきた「いもむし」
1937年(昭和12年)製。
(任侠・鉄道共の会に分裂前)
登場当時と思われる塗装に変更、
※ 当時は、現在みたいにカラー復元技術が無く、
当時の写真が白黒しか無かったため、
有識者を集めて、議論の上、この色に決定されました。
ナゲーは、残念ながら無識者です。
実は初号機ではなくて、3号機ですが、
一番状態が良かった3号機を
初号機(第1編成)に改番して「3401編成」になりました。
8月いっぱいは、土日限定特別運用で
岐阜県の路線を中心に
お名残走行をしました。
いもむしと言われつつ、
100km/hで爆走した3400系です。
ナゲーは、オジャマムシと言われつつ、
まだまだのさばっております。
2002年8月11日。
右側、「7100系」エセパノラマカーが
新岐阜駅へ向けてスタンバイ中。
会社辞めて、ここの清掃作業員になりたい。
2002年8月19日。
仲間の1両が、無事に生き延び
谷汲駅へ旅立ったあとに取り残されたふたり。
残されたふたりに待つ運命とは・・・。
2002年8月31日。
「6500系」がプチ山間部へ。
この日は、いもむし絶命の日。
新可児駅では、盛大なお別れ式典が
開かれていたそうですが、
ナゲーはそうゆうのは好みではないので、
静かな気持ちで、お見送りをします。
いもむし、最後の走行です。
極小ナゲーの時代から、
ずいぶんお世話になった、いもむしちゃん。
胸にこみ上げて来るものがありました。
決して、2日酔いではありません。
ゲボ吐くのって、死ぬより苦しくないですか?
ナゲーは死ぬよりゲボがいやです。
さようなら、いもむし。
最後にいもむしちゃんが入るであろう、
犬山検車場は、
いもむしちゃんの入る余地はありませんでした。
(満車やないけ!)
一緒に走った仲間ですからね。
最後は暖かく、迎えてくれたことと思います。
別れが多くなってきた2000年代。
いもむしちゃんのご冥福をお祈りして
勝手に名鉄でんしゃまつり、今回も終了です。
ダラダラで遊ぶノンノちゃん。
2002年6月頃の姿。
今日はこの辺りで失礼します。