ナゲー国でミゾーユーの大事故です。
12月11日・午後10時40分頃、
ナゲー国公邸、洗面所に設置してある
洗濯機が幾度となく停止する不調が発生し、
ナゲー総理大臣が緊急事態宣言を発令。
災害派遣を要請し、
陸上ナゲー隊が出動しました(隊員1人)
「排水の自由作戦」と名付けて部隊を展開し(隊員1人)
原因をトリセツで調査中、
排水溝のツマリが原因と特定し、
陸上ナゲー隊第42死団・特別汚物処理班(ナゲー総理兼任)が
排水溝と排水ホースの接続を外したところ、
いきなり大量のヘドロ状のドス黒い汚染水が噴出し、
洗面所から公邸内部に汚染水が流出しました。
続いて悪臭毒ガスが周囲に拡散し、
女王陛下がナゲー国民に対し、非難指示を発令しました。
(やっぱり、非難されるんですね)
この事故で、陸上ナゲー隊・第2能面隊
(さっきと違う部隊なのか?)
※ 一応ポーカーフェイスですが、
内心は女王陛下の激怒を恐れている。
ナゲー隊長が(いずれも兼任だらけ)
手と足をヘドロ状汚染物質にまみれ、軽傷を負いました。
ナゲー隊長に代わって、
女王陛下が直々に指揮を執り、
(手足になって厳しい指示通りに動く負傷ナゲー)
排水ホースに、管男洗浄液を緊急注入。
(どうして素直にパイプマンと言えないの?)
15分後、ホースと排水溝を再び接続し、
大量の汚水を緊急放出しました。
その結果、洗濯機は再稼働に成功し、
ブラックホール会社のババチイ作業服は
無事、洗濯を終了しました。
この事故で、ナゲーは軍事裁判にかけられることになり、
懲役150光年の刑を言い渡され、
人生の洗濯を迫られるナゲーです。
(命がけの作業に必死で、証拠画像撮影失念しました)
ということで、干されたくないナゲーブログ
本日もよろしくお願い致します。
今回は、読者の方からリクエストがございましたので、
出し惜しみオヤジカメラ汚写真から、
1979年当時の、名古屋の鉄道車両汚写真を
少量ながらご紹介して参ります。
汚染水には、じゅうぶん御注意下さい。
お恥ずかしい、キモイ姿ですが、
オヤジに連れていかれた、
1979年頃の極小ナゲー。
着る服が無かったので、いつも体操服かジャージ。
名古屋・栄セントラルパーク、テレビ塔前で、
ジロジロ見られながら証明汚写真。
シャツはINするのが当然です。
中央本線を走った「急行きそ」
(ナゲーはいつも「急行クソ」と言っていた)
なんで「サボ」だけ撮るかなぁ。
電車は、どこでも走っていた「165系」なので
珍しくも何ともないので、
撮らなかったんだろうなぁ。
関西本線は、まだ電化前でしたので
旧型客車全盛期でした。
平行する近鉄電車に闘いを挑む気は全くなく、
1時間に1本走ってたら良いほうでした。
新幹線のホームは、別世界でしたね。
まさに、夢の超特急の感覚でした。
1枚の入場券で入れた時代。
でも、電車は0系オンリーで
すぐに、つまらなくなりました。
(排水溝や、ナゲーの血管はつまりますが)
それでも、やはり新幹線は別格でしたね。
乗務員さんも、みんな白い制服でした。
(白に征服されたいブラックナゲー)
名古屋市交通局さんの市バス車庫が、
これは、いつ頃の塗装なのだ?
青のシマシマが、たぶん新しい塗装。
緑は、チンチン電車の流れを汲む色塗りなのか。
バスに車掌さんが乗っていた時代があったので
大型の「ワンマン」表示は義務でした。
車庫といっても、昔は砂利敷き。
ナゲーの口内も、虫歯でジャリジャリでした。
ここは「伏見駅」、終点でした。
3000形も、今や3編成を残すのみ。
オールステンレス車は、
当時はすごく珍しかったですねぇ。
名古屋も都会になったなぁと
岐阜人ナゲーがでかい態度で思いました。
当時は4両編成だったかな。
名古屋駅を通らない地下鉄だったので、
お客さんは少なかったです。
名古屋鉄道さん「100系」
1車両に4扉・20mの長さの車両は
名鉄電車始まって以来の大型車両でした。
貫通扉中央には、名鉄の社紋入り。
相互乗り入れ開始記念系統板付きでした。
現在は、犬山線とも繋がり、
TOYOTAのお膝元・豊田市を結ぶ
大動脈に成長しました。
100系も、すでに40年を超え
そろそろ、世代交代になるのかなぁ。
ナゲーも、そろそろ世代交代ですね。
地下鉄なんか撮ってる野郎なんて
これっぽっちも居なかった時代。
黄色の電車だったので、
鉄粉がへっついて、汚い電車ばかり走ってました。
お客運べばいいんやろ!
みたいな感覚は、国鉄と同じ
いわゆる「親方日の丸」的考えだったんでしょうか。
若い人は、ご存知ない言葉かもしれませんね。
一所懸命働かなくても、公務員だから
給料はもらえるからね!簡単に言えばこんな感覚かな。
日本国の公社は、
の3つでした。いずれも
JR・日本たばこ産業・NTTに
民営化されました。
ナゲー国は、公的にドクダミパケを闇販売しております。
痛勤地獄と言われた、死のラッシュが
毎日繰り返されていた東山線は、
名古屋・栄、2大中心部を貫く路線。
なのに、電車は小形の16メートル3扉。
しかも、全車非冷房。
更に、列車は昼間でもギューギュー詰め。
真夏は窓全開で、オネーサンのヘアは乱れに乱れ、
車内放送は全く聞こえない大騒音公害。
電車は鉄粉で、黄色じゃなくてドドメ色。
よく、誰も文句言わずに乗ってたなぁと思います。
この黄色い電車を見ると、
名古屋に来たなぁと、極小ながら感じたナゲーです。
1957年から、1988年まで活躍しました。
以上、少ないですが
出し惜しみした、オヤジカメラ汚写真でした。
今回、汚染水事故を起こした
洗濯機の上が、大好きなまるちゃん。
乗ると、高速スリスリをはじめます。
今日はこの辺りで失礼します。