職場のドロドロにもがき苦しみ、
ノンビリと余生を過ごすべく、
サマージャンボを10枚買うナゲーです。
とうことで、土砂降りの旅から一旦離れまして、
ご紹介します。
2005年4月1日に廃線となりました。
間もなく15年を迎えようとしています。
今から32年前の、1987年4月29日。
揖斐線を利用するお客さんにとって、
歴史的な日になったはずです。
イベントがあるのを雑誌で知って
早速、黒野駅へ出かけました。
いつもの「モ510+520」急行で
黒野駅に到着しました。
3両編成に見えますが、一番奥は
入れ換えのために停まった車両です。
優美な半円形の全面。楕円形の戸袋窓。
全てがオシャレです。
ノンビリムードの黒野駅。
岐阜へ向かうお客さんが、たくさんいます。
左奥の方に、この日のヒントが写ってしまっていますが・・・。
黒野検車区で、検査を終えたばかりの
きれいな「モ514」が、構内を試走します。
ホームには打ち水がされ、初夏の風が吹き抜けます。
構内には、いろんな車両が
所狭しと置かれています。
まさに、模型のような世界。
大正15年生まれの510形が
揖斐線では優等車両。
木造の検車区では、職員さんが
昭和初期の車両を点検中。
さて、いよいよ歴史的瞬間が近づいてきました。
駅の外へ出て、沿線からその様子を
記録します。
来ました。
揖斐線史上、初の冷房車。
そして数十年ぶりの、新車!
「モ770形」が、軽やかに走ってきました。
会員ではありませんでしたが、
誰でも撮影できたようなので、
勝手に混ぜてもらいました。
揖斐線のお客さんにとっては、
待ちに待った冷房車。ピカピカの新車。
「モ750形」と並びます。
車両の大きさが、一目瞭然。
路面電車感は否めません。
先程の、ピカピカ「モ514」も
新車を見守ります。
この先に待ち受ける運命を、知る事も無く。
鉄道友の会の撮影会が、始まりました。
デモンストレーションで、方向幕をクルクル。
本格的ワンマン運転が、始まる予定です。
「スプリングポイント(発条転轍機)」(発情じゃナイデスヨ)が
乱立する黒野駅に、
モ520形急行が、堂々の入線です。
大・大・大先輩と後輩の顔合わせ。
どんな気持ちでしょうか?
短い時間で撮影会は終了。
黒野駅の様子を連続でご覧下さい。
まず、1両では走ることのない「モ520形」
構内では、1両で元気よく走り回っていました。
こちらは大正12年生まれ。
古さを感じさせません。
「モ520形」はアゴが出て男っぽい感じ。
「モ510形」は曲線美で、女性っぽい感じ。
こうして、モ770形の鮮烈なデビュー初日は
終わりました。
実戦投入されると、すぐに問題点が。
車体が路面電車タイプで小さく、
連結運転が出来なかったため、
朝の通勤通学ラッシュには、輸送力が小さすぎて
乗り切れない状態が発生。
結局、朝は旧型車の3両編成運転が継続され
新車の能力が発揮出来ない事態になりました。
お荷物的路線の旅客数過小評価が、仇になりました。
当時の部内は知る由もありませんが、
現場の意見を吸い上げないと、このような事態を
招くのかなと想像してしまいます。
今の僕の職場が、まさに同じ。
モ520+510を撮影。
この時は既に、岐阜市では
路面電車は、邪魔者扱いされていました。
忠節駅で昼寝する、鉄道線の車両達。
左側の車両には
「この電車は発車しません」の系統板が
差し込まれています。
岐阜駅前から新岐阜駅前に向かう「モ560形」
岐阜駅まで入る列車には「黄色」の系統板が
差し込まれていました。
実際に岐阜駅前まで向かう電車は、半分以下。
岐阜駅前を元気に走っていた頃の、
大正生まれの男女っぽいコンビ。
先に「モ520形」がこの世を去るまで、
繋ぎ合った手を離すことはありませんでした。
って書くと、かっこいいですね。
実際は、1967年に直通急行が始まってから
1988年に「モ520形」が全廃されるまで
21年間寄り添った事になりますね。
人間夫婦も、かくありたいですね。
まるちゃんの、歴史的な1日。
偉大な足跡を、雪の大地に残しました。
速攻、撤収しましたが・・・。
今日はこの辺りで失礼します。