名古屋鉄道・岐阜市内長良線 旅立ちの3日前
11月16日に、岐阜市内の
金公園に、ナゲーあいだ保存されていた「510形」を
岐阜駅前に移設するパレードを行うそうです。
岐阜駅前の「全身金ピカ織田信長像」とセットで
岐阜市のシンボルにするようです。
あれだけ敵視してきた、岐阜の「チンチン電車」を、
シンボルにするという根性は、
「そんなら、何で廃止したの?」
と、ちょっと腑に落ちませんが、
どんなことでも、この世から無くなってから
大事にされる、というのが世の常ですね。
死んだらたぶん、速攻で忘れ去られるナゲーです。
ということで、本日は
廃止当時の様子をご紹介していきます。
岐阜市内長良線は、
1988年5月31日、大勢の人に喜ばれながら、
この年に開催される「ぎふ中部未来博覧会」への
観光客輸送に障害が出るという理由で
廃線になりました。
ナゲーと同じく、長年に渡って邪魔者扱いされていました。
その結果、岐阜の繁華街は、
シャッター街と化しました。
では、ナゲーのフーケーと合わせる形で
ご紹介していきます。
廃線の3日前、1988年5月29日。
徹明町交差点で信号待ち。
廃線を記念する装飾が、全車に施されました。
5月中旬位から、お名残乗車する人が
増え始めました。この日もちょっと満員。
普段から乗ってれば、廃線は無かったかも。
岐阜柳ヶ瀬駅。
1両だけ、花電車に仕立てられました。
側面には皮肉な「成功させよう未来博」の文字。
まるで、電車があると成功しないような。
市役所前~岐阜柳ヶ瀬間。
近鉄百貨店が、岐阜にもありました。
クルマに邪魔にされながら、走っていきます。
大学病院前~市役所前間。
違法駐車のクルマが
しょっちゅう停まってましたので、
道幅が更に狭くなって、
電車が悪者になっていました。
伊奈波通駅。
近くには、伊奈波神社があって
参道は、枝下桜がとても美しく咲いたのですが、
当時のナゲーでは、そんな事に考えが及ばず、
一緒に撮っておけばと、後悔しきりです。
夏の花火大会開催時は、
全ての電車が、ここで折り返し運転したため
渡り線が設置されていました。
鉄道友の会の特製さようなら装飾。
本町~伊奈波通間。
この光景とも、あと3日でお別れです。
交通量は、平日もさほど多くはありませんでしたが、
とにかく、廃線にする理由を
こじつけた印象しか、ナゲーには有りません。
長良橋~公園前間。
右方は、金華山トンネルへ続く道。
長良橋の勾配を降りてきたところの交差点。
長良川が氾濫した時用の、閘門用レールが
線路と交差しています。
廃止3日前でも、透けて見える電車内。
いかに、岐阜市民から愛されなかったかが
分かります。
鵜飼の屋形船と共に77年間。
今も存在していれば、
観光目玉の一つとして、機能していたかも。
鵜飼の観光客も低迷したままです。
岐阜市民のナゲーでさえ、料金が高すぎて
乗船したことが有りません。
(ちなみに、市民税も高いです)
終点・長良北町駅。
廃線3日前の様子をご紹介しました。
有効活用も、安全対策も、
何も手を打たれることなく、死んでいった
岐阜市内・長良線。
今の市街の衰退を見ると、
線路を歩道側に寄せて、違法駐車を無くすとか、
安全地帯を作って、乗降しやすくするとか、
岐阜のシンボルを大事にする知恵は、
無かったのでしょうか。残念でなりません。
世の中、ギスギスして、ホントにイヤになります。
次回は、最終日の様子をご紹介します。
ネコの手、貸したろか?
今日はこの辺りで失礼します。