チョット古い、オヤジカメラ汚写真 1979年頃の岐阜のバス
外食業界の、見事な「お持ち帰り戦略」に引っかかり、
手頃な値段で外食より安く済み、
しかも、結構ボリュームもあって
毎週のように、美味しいテイクアウトを食べて、
先日、循環器科の血液検査で
中性脂肪が通常値の4倍を達成した
コロナに感染するより、他の病気で死亡しそうなナゲーです。
ということで、
本日は、1979年頃の岐阜市、
オヤジカメラ汚写真をご紹介して参ります。
ホントにヒマなときは、
ケッタで月1~2回は岐阜公園に出かけて登りました。
そのあとは、ケッタ市中引き回しされた記憶が。
長良川に架かる、当時ナゲーが知っていた限りの中で
3大橋の1つ「忠節橋」
チンチン電車が無くなった以外は、
現在も同じような景色です。
クルマもまだまだ少ない時代で、ノンビリムードでした。
続いては、鉄道から離れまして
現在の岐阜では独占状態の
(国際エロリストなので)
近くには、「岐阜バス・下川手車庫」があって
メチャクチャたくさんのバスが停まっていたので
小学生のジャージーナゲーにとっては
大迫力の車庫でした。
バス停だったので、出入りは自由。
写真は旧塗装の岐阜バス。
右側に見える2台のバスは
当時、新しく投入された車両。
左側4台の内、3台は新塗装にされた旧型車。
塗装も、名鉄バスに近いです。
バスが並んだ姿は、壮観でした。
(現在は、乗務員さんの詰め所が主のバス停に)
次は「岐阜市交通部」(通称・市営バス)さん。
場所がちょっと分からないんですが
同じネガで、下川手から近いだろうと推測して、
おそらく、「茜部大野」バス停かな?
当時は「茜部車庫」と言われていました。
1949年から公営バスとして運営されましたが、
採算の悪化で、路面電車が廃止されるのと同時の
2005年3月31日限りで、岐阜バスに譲渡されました。
料金が均一なので、前乗り後ろ降りになっていて
戸惑う人もかなり居たようです。
ナゲーの印象と、噂や実態から、
「市営バス」は、営利目的ではないので
運転士さんは、ぶっきらぼう。ありがとうは一切無し。
「岐阜バス」の運転士さんは、
ダンプ上がりの運転士さんが多いという噂で
実感として、運転は急発進・急加速・遠心力カーブが
きつかったように覚えています。
(ナゲーの運転は、地獄上がりなので乗らない方が身のため)
市営・岐阜・名鉄バスの3社三つどもえで
重複路線では、客の奪い合いをしていた岐阜市内でした。
現在は、岐阜バス1社で近郊・郊外線まで担っています。
でも¥100コミュニティーバスが出てきて
(担当は「日の丸タクシー」)
また何か、複雑な状況になってきてます。
出し惜しみしながら、
今後もチョロチョロ公開して参ります。
2017年のまるちゃん。
今日はこの辺りで失礼します。