新生「JR」 最初の1日 岐阜地区のJR初日の様子

今年、中学3年の娘が

高校受験を迎えます。

1986年当時、登校拒否を繰り返し

成績は最低。しかし、試験的推薦制度で

首の皮1枚繋がり、中学3年の10月で

受験をすることなく高校に合格、

クラスのみんなが受験で苦しむ3月は

ボッチで遊びまくった

苦しみの知らない甘ったれナゲーです。

 

ということで、

前回で「日本国有鉄道」は幕を閉じ

翌日1987年4月1日

「JR7社」がスタートしました。

東京から帰った翌日、早速近所へ

JR東海東海旅客鉄道株式会社)」の様子を

撮影しに突撃しました。

(ちなみに「鉄」の字は、右側の「失」の上が出ていない字)

(「金」を「失う」から、上の出っ張りを引っ込めたらしい)

では、ご紹介します。

 

f:id:nagee4678:20190630152922j:plain

最初に来たのが「JR貨物 EF65形1000番台」

何が変わったかというと

「JRマーク」が車体側面に貼り付けられただけ。

いつもと変わらない姿。

 

f:id:nagee4678:20190630153751j:plain

続いてやってきた「JR東海 急行のりくら」

「期待を担って JR東海」のマークが

付けられていました。

 

f:id:nagee4678:20190630153913j:plain

こちらもJR東海所属の「特急 ひだ」

僕ではちょっと、意味が理解できない

「旅 JR東海」のマーク。

 

f:id:nagee4678:20190630154108j:plain

こちらは新体制ムードの「よろしく」マーク。

113系は湘南色で、

JR東海のシンボルカラー(オレンジ)と

ちょうど半分くらい、色がかぶります。

関係ないですが、後方の踏切左側の小屋は

有人踏切だった「竜田町踏切」の踏切保安掛詰所。

ハンドルをグルグル回して、遮断機を下ろしていました。

 

f:id:nagee4678:20190630155501j:plain

f:id:nagee4678:20190630155533j:plain

いずれも、通常モードの

JR東海 急行のりくら」

どうも、1号・2号あたりしか

マークは付かなかったようです。

撮っているところは、

線路を潜る地下道の屋根上。

線路際には、相変わらず植木や畑が。

 

f:id:nagee4678:20190630155824j:plain

「よろしくJR東海」マーク付きの

「名古屋地区向け211系」

おでこには、でっかく「JR]シールが。

しばらくして、車体色は

湘南色に変更されてしまいました。

 

f:id:nagee4678:20190630160156j:plain

普段通りの「JR東海 113系」

非冷房車の統一編成。

当時は冷房が無くても耐えられた時代。

真夏でも非冷房車が、平然と走っていました。

いかに地球温暖化が進んでいるかが分かります。

 

f:id:nagee4678:20190630160304j:plain

普段通りの「JR西日本 特急しらさぎ

車体側面には「JNR」と「JR」が共存。

 

f:id:nagee4678:20190630160211j:plain

普段通りの「JR貨物 車扱貨物」

今では見られなくなった、

多彩な貨車のごちゃまぜ編成。

 

f:id:nagee4678:20190630160737j:plain

国鉄最後の日に名古屋駅で撮影した

JR東海 117系」のよろしく貼り紙。

117系には、比較的多数の編成に

貼ってありました。簡単だからかな。

117系も、しばらくして

JR東海オリジナルカラーに塗り替えられました。

 

f:id:nagee4678:20190630161016j:plain

やはり、「JNR」と「JR」が共存。

他は通常通りの「JR西日本 ボンネット形しらさぎ

 

f:id:nagee4678:20190630161154j:plain

通称「赤ホキ」も、通常通り。

「JRシール」だけは、一夜のうちに

全車両に(先頭車と機関車だけですが)貼ったようで、

それはそれで、すごい作業です。

日本国有鉄道という全国統一組織だから出来た、

最後の成せる技だったと思います。

 

f:id:nagee4678:20190630161610j:plain

こうして、新生JRの初日は終わりました。

やはり、特に祝賀ムードでもなく、

通常通り、淡々と走っているという印象でした。

当時は子供だから分かりませんでしたが、

国鉄改革で、7万人余りの職員がJRに採用されず

退職を余儀なくされ、

現場はとても祝賀ムードとはいかない雰囲気が

あったと思います。

「JR」になってからは、地域密着の反面

会社間の連携が無くなり、

他社乗り入れの列車は冷遇や意地悪ダイヤに。

金儲け主義に走る余り、ひずみが出て大事故が連発。

富裕層対象の列車が多数登場するかわりに

庶民の列車はどんどん削減や廃止。

はたして、JR化がよかったのかというと、

やはり、「?」が、僕の正直な気持ちです。

 

なっちゃったものは仕方が無いですけど、

なんでもかんでも民営化するのは

いかがなものかと、今でも思います。

 

とにかく、JR最初の1日は、

こうして終わりました。

これ以後、さまざまな事態が起こる事になります。

まさに、人生は茨の道ですね。

 

f:id:nagee4678:20190630163314j:plain

ネコはネコで、苦労があるんだよ・・・。

 

今日はこの辺りで失礼します。