久々の心に沁みない、ナゲーのフーケー 1992年1~3月期
小4の息子が出場した、心に沁みた?「小中学校連合音楽会」
(全部の小学校が出るので、特別上手いとかでは無い)
の映像が、ケーブルテレビで放映されるので、
収録したDVDは、最近の個人情報とかでもらえないので、
放映日の夕方、録画命令が出たので
自宅でビデオ録画する事に。
しかし!ナゲー家は2世帯になっていて
2階はケーブルテレビをやめて、コミュファ光に
(アタマ光ではありませんので)
変更してしまったので、ケーブルテレビが映らない!!!
録画出来ないではないか!!!!!
シマッタァァァァ!完全に失念していた!!!
それなら、オヤジの1階はまだケーブルテレビ契約なので
ビデオを・・・・
ビデオデッキが無ぁい!!!!!!!!
こうなったら、奥の手を使って
(コンデジでテレビ画面を録画)
約7分間、手持ちでテレビ画面撮影・・・したのはいいんだけど
オヤジは、ある宗教団体に所属しているので、
撮影開始すると同時に、夕方のお務めが始まり・・・
「ナンミョ~ホ~レンゲ~キョ~!ナンミョ~ホ~レンゲ~キョ~!」
ッッッッ!お経も録音されてしまうではないか!!!
溢れてくる笑いを、ナゲーは抑えられない!!!
ナゲーの笑い声まで入ってしまう!これは致命傷だ!
チ~ン。ハイ撮影終了。
再生して確認。小4息子が歌うのと同時進行のバックグラウンドで
「ナンミョ~ホ~レンゲ~キョ~ナンミョ~ホ~レンゲ~キョ~」
あぁ・・・。終わった。
息子は気合いを入れて、楽器も歌もやってたのに・・・。たぶん。
でも聞いてみると、意外と歌のリズムがお経とマッチするではないか!
当然、上層部から撮り直しの指令を受けるナゲーです。
(本日、再放送で無事成功。抹殺されるところでした)
ということで、久しぶりに
心に沁みない、ナゲーのフーケー
1992年1~3月期を、ご紹介して参ります。
1992年1月12日。
パステルカラーに化粧直しした「キハ58系・急行たかやま」
高架化前の仮線を走ります。
1992年2月8日。
夕暮れ時のローカル運用に就く7000系白帯車。
駅前にスーパーも出来て、賑わい始めた駅周辺。
なんとなく撮ってみたのか?
写真を見ても、記憶が出て来ない。
4灯の前照灯は、もの凄く明るかった7000系。
パノラマカーが、豊川を渡る姿も過去のものに。
パノラマカー、ホントに楽しい車両でした。
この前ご紹介した、下地駅。
コンクリートに囲まれて、ちょっと不気味な駅。
夜は絶対危なそうです。
(ナゲーのようなハゲしい妖怪が出そう)
1992年2月15日。
普通電車が去ったあとの、意味もない写真。
1992年2月24日。茶所~加納間。
線路点検をする保線員さんの横をかすめる急行。
すごい距離を歩くんだろうなぁ。
(健康には良さそうです)
1992年3月8日。
先日ご紹介した、紀勢本線での写真。
風があって、水鏡にならず。
早朝の多気駅で。
シルフィードと記念撮影を
乗務員さんにお願いするオカアサン。
珍しい電車ですもんね。
今なら花粉症でイッパツダウンのナゲー。
杉の山間を、キハ82形特急南紀は
ゆっくりと走っていきました。
早春だったので、黄緑色
あちこちに目立ってきてます。
昔の気動車は非力でしたので、
ホントにゆ~っくりした足取りで登ってきます。
尾鷲方面まで足を伸ばしていた「快速みえ」
紀伊長島からは、所々で海岸線を走ります。
マジで遠かった・・・。日帰り撮影はキツイ。
三瀬谷ダムの横を通り過ぎる紀勢本線。
川の流れは、ダムによって干上がり状態。
やはり、ステンレス車より良いです。
1992年3月22日。
電留線には、職員さんが急いで作ったのか、
ゴツゴツの雪だるまが、電車を見守っていました。
後日ご紹介しますが、
ちょっと散策して、天竜川下りを発見しました。
秘境レベルではないけど、静かな天竜峡駅。
1~2時間に1本程度の電車が、大事な足になってます。
1両だけの電車が、トコトコ走っていきました。
高い山々が眼前に迫る駅。
都会では考えられない、半自動ドア。
自分でドアを操作出来るなんて、
車掌さんになった気分になれます。
心に沁みない、ナゲーのフーケーでした。
(毎回思ってましたが、ナゲーのフケじゃないですよ・・・)
(フケのような写真ばかりですが・・・・)
ストーブは心に沁みるけど、誰か呼んだ?
今日はこの辺りで失礼します。