さようなら名古屋鉄道・美濃町線 廃線8日前
本日は下ネタ話しですので、
不快を感じる方は、本文まですっ飛ばして下さい。
小5男子国民が、一昨日から
「オティンティンが痛い」と言うので、
(「チ」にするとあまりに直接的ですので「ティ」にしました)
昨日の夕方の風呂上がりに女王陛下が、得意の手技で剥いた所、
(想像はしないで下さい)
白い液体が、ドロ~ッと出たと顔を引きつらせて、
名古屋国から帰国したナゲーに
(昨日は、組合の打ち合わせで国外へ)
報告をしてきました。
そーゆー趣味は、全く無いナゲーですが、
見たくないけど見てみても、
見た目には異常が無く、
今日になっても痛いというので、仕方なく泌尿器科へ。
とても親切な先生で、症状を説明し、
「恥垢か?」「いえいえ、恥垢ではありません」
※ 「恥垢」とは、ご自分で調べましょう!
(あまりに過激すぎて書けない!)
小さい頃の「ティンティン」は、被ってますので、
剥く必要があるんですが、
「チーカマ」を剥くようには、うまく剥けない!
これは、ティンティンを持って生まれた男性が
必ず勝利しなければいけない、
生きるか死ぬかの闘いなのです!
(結構、剥くだけでも痛い。差別じゃないよ)
「じゃあ、ちょっと診せてもらっていい?」
診察台に寝そべり、看護師さんにソッコーで
ズボン・パンティーを容赦なくズリ下ろされる小5国民。
「マテガイ」というか、肌色の「ミミズ」が公の元に晒され、
恥ずかしいと言う間髪もなく、先生がチーカマを剥き、
小5国民「イテテテッテテテテテ」
先生「ははぁ、継ぎ目が炎症起こしとるね。良くあるわ」
「塗り薬を軽く塗って下さいね」
女王陛下に話すと、「う゛ぇ~私がやるのお~」
ナゲー「得意やでいいやんか!」
堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、
以て将来の為に包皮を開かんとする小5国民と、
女王陛下の逆鱗に触れ、ナゲー国の為に犠牲になるナゲーです。
(このお話は、ハン(半)フィクションです)
ということで、ハンチクショーナゲーブログ
本日も前回の続き、
ご紹介して参ります。
写真はノンフィクションです。
廃線まであと8日となった、
1999年3月23日。
美濃駅方から順に、駅を記録しました。
「松森駅」
駅舎も無く、低いホームがポツンとあるだけ。
国道からは離れた所にありましたが、
周囲は宅地化が進行していました。
専用軌道を、気持ちよさそうに走る
「モ590形」ワンマン普通美濃行き。
遅そうに見えますが、猛スピードで
車体を上下左右に揺らしながら迫ってきました。
廃線まであと僅かになると、
こうしてドマニアさんが集中的に押し寄せます。
普段なら、ガラガラの電車ですけど、
向こう側が見えないぐらいに乗ってます。
踏切には「踏切廃止のお知らせ」看板が設置されました。
遅そうに見えますが、
吊り掛けモーター音を高らかに響かせて、全力疾走中。
「神光寺駅」
ちょっと離れた場所にそのお寺はありますが、
行った事はありません。
なぜなら、電車ばっか撮ってたので。
新関~美濃間で、唯一行き違いが出来た駅で、
末期は、早朝のみ行き違いをしていました。
木製の架線柱が、ハードルみたいに
延々と続いていました。
線路際に柵などは無く、地元の人は
線路歩きたい放題でした。
この駅から、路面走行になりました。
ジャジャ馬モ590形も、路面区間は
多少おとなしくなりました。
神光寺駅を発車して、路面区間に進入する
モ590形・ワンマン普通新関行き。
すでに、ドマニアさんで混み混みです。
線路は今にも、泥に埋まりそう。
線路がガタガタなので、よく揺れました。
ここからはモ590形も、
スピードは多少押さえ気味で、
マスコン(アクセル)を何度もグルグル回して
入り切りしながら運転していました。
純粋な路面区間ではなく、
道路の端っこを、申し訳無さそうに
線路が敷いてあって、
路地から飛び出してくるクルマが要注意でした。
半・専用軌道みたいな感じですが、
踏切も標識も何も無いので、
国道へ流入するのに
しばしばクルマが線路の上で止まってる時が
ありましたので、電車も速度は押さえ気味。
たくさん有りました。
「下有知駅」
下があれば、中・上もあって、「上有知」地区は
読み方が全く違って「こうずち」でした。
路面区間ですが、やはり専用軌道ですね。
でも、道路の信号に従って走ります。
1時間に1本なので、なかなか電車に出会えませんでした。
廃線6日前と2日前にも撮影に行き、
その2日前に行った3月29日が
次回は、お別れ装飾をしたモ590形と
ナゲーが撮った美濃~新関間
最後の鉄道汚写真をご紹介します。
肩に乗るのが好きだったノンノちゃん。
大きくなるギリギリまで、乗ってました。
今日はこの辺りで失礼します。