田舎の雰囲気 1992年の養老線と城北線
ナゲーのブログ、昨日はお休みをいただきました。
なぜかというと、娘の高校合格を想定して
新規契約した格安スマホが届きましたので
ナゲーの格安頭脳では、その設定に手間取ってしまい、
(スマホがナゲホに。使えない・・・)
断腸の思いで、遺憾ながらお休みさせて頂きました。
(誰も気付いて無かったりして・・・・)
本日も、早朝から予定が鼻づまりで、
1.娘の私立高校受験のため、娘の友人も送迎。
岐阜に出現するので、捕獲をしに出撃。
3.オヤジ病院参り。
今後もいろいろ行事が目白押しで、
こういうときに限って、病気になったりしないように気を付けてますが
旧型コロナゲーウィルスの耐性は持っている、安心ナゲーです。
(ナゲー自身がウィルスなので、誰も近寄りません)
ということで、本日は
1992年5月期に撮ったいろいろ汚写真
ご紹介して参ります。
1992年5月12日。
いわゆる「大垣夜行」が、165系で走っていた頃。
大垣電車区の電留線が、日中は満杯に近くなるので
大垣駅側線に一時的に留置。
なぜか表示幕は「急行・東京」に。
行ったことが無かったので、行ったようです。
養老線の駅舎は、似たようなスタイルが多いです。
(ナゲーが老人になったら、養われずに捨てられそうです)
養老線は、捨てられてましたので
電車の塗装もツートーンにはしてもらえなかったようです。
この方が近鉄さんらしくて好きですけど。
(1億総活躍社会ですから、老人も死ぬまで働かされます)
ある路線を乗りに行くために乗車。
「211系」も国鉄形なんですね。
そんな感じは全くしないナゲーですが。
「ある路線」とは、ココ。
チョーナゲー通路をトボトボ歩いて行きます。
「誰も乗るなよ!」と言わんばかりの階段。
ヒーヒー言って、ようやくホームに到着。
歩くと7~8分はかかったような。
現在はどうなったか、行って無いので分かりません。
この時代は、バリアフリーなんて考えはほとんど無くて
この距離と階段を、老人や不自由な方は絶対無理。
人っ子1人居ない、別世界の鉄道。
城北線カラーの「キハ40系」が、
カラカラカラとエンジンを静かに震わせ、
ポツンと停まっていました。
はるか向こうを中央本線の線路が。
路線は、全線高架複線。高規格の線路が続きます。
実際乗ると、すごく高いところを走っているので
眺めは最高!アップダウンもあるので
ジェットコースターのような気分が味わえます。
と言っても、単調な高架上の路線。
ボヤ~としている間に終点に着いちゃいました。
尾張星の宮駅。当時の終点。
ここで、ポイッと下ろされても、
枇杷島駅は歩くには遠すぎるし、
駅舎も何もないし、仕方なく引き返します。
人間が居た!
一桁のお客さんを乗せて引き返しました。
帰ってきました。
もうすぐ高架駅になる、JR岐阜駅・南口の
国鉄時代からある駅舎。
スーパーマーケットが有りました。
ノンビリムードが漂っていた、1992年5月の汚写真でした。
ぐでまる。
今日はこの辺りで失礼します。