あの頃は頑張っていました。名古屋鉄道・蒲郡線
最近、「は」が付く言葉が異様に気になります。
家族A「もうすぐハロウィンやね!」
ナゲー「誰が、ハッピー・ハゲウィンなんやて?」
家族B「バイオハザード・マルハワデザイア(漫画)を注文して」
ナゲー「誰が、マルハゲデザイアなんやて?」
家族C「ハブラシ取ってきて」
ナゲー「誰が、ハゲブラシ取って来るんやて?」
カッコイイハゲ方を模索するナゲーです。
ということで、ナゲーのブログも
そろそろ先が見えてきた感がありますが、
とてもお見せできない写真、とことん出す
勇気を振り絞って、
ネガ103本目に突入致します。
(何で103本目に宣言?ただ思いついたので)
様子をご紹介していきます。
廃線議論も持ち上がっています。
今でも蒲郡は、一大観光地ですが、
名鉄さんで行く旅行客は、ほぼ皆無。
でも名鉄さんは、最後の最後まで
涙ぐましい努力をされてきました。
それでは、車両と駅中心の写真を
蒲郡駅からスタートです。
1989年2月12日。
すでに「平成元年」になっています。
閑散とした駅前。
JRはまだ地平でした。
観光客ほぼゼロなのに、
がんばって名古屋直通特急を
1時間に1本走らせていました。
同じ場所にあるのに、名前が全然違う駅名。
当初はJR線には、駅がありませんでした。
そのスジのお客さんが、大量に降りてきます。
混むのは、競艇開催日だけ。
(朝夕ラッシュは、たぶんあるだろうけど)
普通電車も、日中でも4両編成で
ガラガラで走ってました。
シーソーみたいなベンチが置いてあります。
当然、無人駅。
三河鹿島~形原間。
名古屋方面から来た急行は、
吉良吉田から、全て普通に変わりました。
日中は、特急と普通のみの蒲郡線でした。
1000系パノラマsuperの投入で
はじき出された白帯車が、
支線に入るようになりました。
一応、特急停車駅でした。
駅員さんも居るみたいです。
ここでも、名鉄十八番の軒先ギリギリ線路。
家の裏みたいな所を、走っていきます。
この日は7700系白帯車の2+2編成。
もちろん、ガラガラです。
この駅も、通りから一歩入った
路地裏みたいな所にありました。
西浦駅。パラパラとお客さんが降りてきました。
西浦~こどもの国間。
山間部では無いのに、山間部を走ります。
特急以外の運用にも、
パノラマカーが入っていました。
座席指定料金を払うのが、勿体ないです。
藪の中へ消えていきました。
恐怖感漂う、「こどもの国」駅。
夜とか、絶対怖いでしょ!
「愛知こどもの国」公園の、最寄り駅ですが
かなり歩かないといけないので、
子供にはキツそうです。
昔は、電車で行く人で賑わったような
蒲郡線内では大きい駅で、しかも高架線。
(ちょっと盆地みたいになっているので)
でも、無人駅です。
ホームへ上がってみました。
家は結構ありましたが、静寂そのもの。
とても、こどもの国には見えません。
誰も乗らないし、誰も降りませんでした。
次回は、後半戦をご紹介します。
こどもの国駅、こんど夜に行ってみようかな・・・・。
こわい~~。死んだふり。
今日はこの辺りで失礼します。