大合理化に踏み切った名古屋鉄道さんの2001年その4 特急北アルプス号廃止前の姿
巣ごもり状態が続く中、
※ ナゲー国は、鳥の巣ではない。
頭は鳥の巣みたいになっているが。
巣ごもりは良くて、引きこもりはダメなの?
巣ごもりの方が、爆発しそうですよね。
DVDレンタルに、ひつまぶしで出かけ
(ひつまぶし、食べたい)
「SFコーナー」に行くと、
(Sukebe Fuckコーナーではない)
見たことのあるタイトルが数本
「2001年ナゲーの旅」(どこ行ったの?)
「ナゲーの静止する日」(死ぬってことか?)
「ナゲとの遭遇」(危険極まりない)
「N.T.」(ナゲー・タンチン)
しかし!なんと「スターウォーズ」の本数が多いこと!
棚の上から下まで、占拠している。
なので、歴代スターウォーズを振り返りましょう!
(別に振り返る必要は全く無いんですが)
いろんな題名があるんですね~・・・。
1.スターウォーズ・新たなるナゲー
(初代なのに、エピソード4なのね?)
2.スターウォーズ・ナゲー国の逆襲
(世界各国に虐げられてますからね)
3.スターウォーズ・ナゲーの帰還
(帰ってこんでええわ)
4.スターウォーズ・ファントム・ナゲス
(墜落しそうやわ)
5.スターウォーズ・ナゲーンの攻撃
(ナゲー型クローンを、ナゲーンと呼ぶ)
6.スターウォーズ・ナゲの復讐
(まさに、現在進行形!)
7.スターウォーズ・ナゲーの覚醒
(シャブやってんのか!コラァ)
8.スターウォーズ・最後のナゲー
(やっと居なくなるのね)
(夜が明けてほしくないナゲー)
10.スターウォーズ・ローグ・ナゲ
(コメントのしようがない)
11.スターウォーズ・ハゲ・ヅラ
(余計なお世話やわ!宇宙空間でハゲやヅラはどうなるの?)
こんなにもシリーズがあるんですね。
でも、実際はスターウォーズシリーズを見たことが無い
(見たこと無いのに書いたのか!)
ナーゲ・ベイダーです。
(最近食後に、シーハーするようになりました)
ということで、ウザーウォーズ・ナゲーブログ
(更新できるか、毎日宇宙的闘い)
前回のお知らせで、
「北アルプス&名称列車」と予告しましたが、
汚写真の枚数が多すぎますので、分割しまして
本日は廃止された伝統の特急「北アルプス号」
単独でご紹介して参ります。
ライトセーバーの使用はお控え下さい。
実は、「特急北アルプス」の歴史は
メチャクチャ古いです。
なので、伝統的列車の廃止には
相当なショックが広がりました。
始まりは1932年(昭和7年)
下呂温泉への観光目的で、
乗り入れを果たした車両がこちら↓
今回の廃線で命運を共にした
「モ750形755号」
当時は、「デセホ750形」という形式で
半室をお座敷にして、下呂まで行ったそうです。
一緒にあの世へ旅立つなんて、
誰も想像出来なかったでしょうね。
その後、休止期間が長く
1965年(昭和40年)に復活。
専用車両が製造されました。
その車両がこちら↓
総勢12両が製造された「キハ8000系気動車」
当初は前面の「ヒゲ」が無く、
走行機器は国鉄「キハ58系」とほぼ同じ。
準急たかやま→急行たかやま→急行北アルプスと
どんどん出世していき
(ナゲーとはまるで反対。出世欲は無し)
「特急北アルプス」として、
3社直通運転をしていた強者でした。
もちろん、パノラマカーの仲間として
「ミュージックホーン」もオデコに装備。
国鉄線内は使用禁止になっておりましたが、
遊びで鳴らしまくる運転士さんを
ナゲーは数多く見てきています。
走行機器はキハ58系なので、とても非力。
高山本線の勾配では、歩いた方が速いんじゃね?
ぐらいの速度まで低下し、
JR東海さんの「キハ85系」が登場してからは
ダイヤを乱すようになって疎まれ、
新形式「キハ8500系」が
1991年に登場しました。
しかし、製造されたのは5両のみ。
当初は単独運転だったものの、
すぐに「特急ワイドビューひだ」と併結運転にさせられ、
名鉄線内からのお客さんも減少。
たった10年で引退となってしまいました。
細かい説明は、ネットを参照して頂き、
引退間近の「特急北アルプス」キハ8500系
ご紹介して参ります。
2001年7月18日。
高山行き「特急北アルプス」は、
新名古屋駅を昼頃の発車のため、
車両の有効活用で
これはその送り込み回送列車。
折り返し、特急常滑行きとして
茶所検車区横を爆走していきます。
この車両を運転するには、電車ではないので
「甲種内燃車動力車操縦者運転免許」なるものが必要で
更に「特急北アルプス」は
名鉄さんの運転士さんと車掌さんが担当しましたので
名鉄社内でも十数名しか乗務できないとされた
エリート中のエリート列車でした。
(JRの規程もマスターしないといけないので)
ちなみに、エリンギーは好きです。エリしか合ってない。
「特急北アルプス」は、
通称「鵜沼連絡線」を通って
JR高山本線に入ります。
線路自体はとても貧弱で、ガタガタ。
民家の裏や軒先みたいなところを通りました。
2001年8月4日。
新鵜沼構内~鵜沼構内。
架線が張ってありますので、
JR鵜沼駅構内に、
赤い名鉄電車が留置されているときもありました。
畑も線路ギリギリまで作られてます。
チョーゆっくりのスピードで、
カラダを揺らしながら、
ソロソロ走っていきました。
遮断機の無い踏切もいくつか。
帰りは夜なので、チャンスは1日1度だけ。
2001年9月5日。
JR美濃太田駅まで、お名残乗車しました。
長らく、神宮前駅始終着でしたが、
いつからか、新名古屋駅に改められました。
乗車後たまたま、老夫婦さんと隣の席になり、
お話ししていると、その方は名古屋の名鉄沿線に住んでいて、
高山には親戚が居て、しょっちゅう北アルプスを
利用していたとのこと。
廃止になると、一旦駅を出てJR名古屋駅まで
歩かないといけなくなるし、
運賃も料金も高くなるので、
大変困ってらっしゃる様子でした。
たぶん、極めて希なお客さんでしょうけど、
不便になっちゃう人が出てきますよね。
キハ8500系は、名鉄線内で、
JR東海の車内オルゴールが聞けて
全く異なる雰囲気が味わえる列車でした。
時間にして40分ほど。
同じ目的のドマニアさんが
たくさん降りました。
先着して、名古屋から来る
JR「特急ワイドビューひだ」を待ちます。
名古屋からの所要時間は、わずかに
「北アルプス」の方が早かったです。
(特急ひだは、ナゲー国のある岐阜へ寄り道しますので)
名鉄さんの運転士さんは、ここで交代。
休憩後、JRの列車に便乗して新鵜沼へ帰ります。
後ろには、すでにワイドビューが連結。
これも思い出となってしまった
名物「松茸の釜飯」争奪戦も展開。
キハ11形との出会いも、
思い出になってしまいました。
JR東海の運転士さんに交代して
高山へ向かいます。
2001年9月18日。
新岐阜駅にも、
キハ8500系が来たという記録。
2001年9月22日。
廃止まで、あと8日。
この日は、珍しく4両編成。
飛騨川沿いを、観光列車らしく
最徐行で通過します。
「飛水峡の甌穴群」と言って、
岩石に風化等で深い穴が空いて、
水が溜まっている所があり、
国の天然記念物になっているそうです。
はまると、大変危険です。
※ ナゲーは、ナゲー国指定
天然危険人物に選定されております。
2001年9月28日。
廃止2日前。
たくさんのドマニアさんが
地下駅でのディーゼルカーを撮ろうと
集まっておりました。
ご存知のように、新名古屋駅は
通過形の駅で、各路線から列車が集まって来るので、
その本数は、山手線並みのホボ2分間隔。
そのため停車時間はわずか30秒。
旅立つ気分も味わえないまま
着席するヒマもなく、
排気ガスを構内に蔓延させて、
慌ただしく発車していきました。
JRと手を携えて走り抜けた「特急北アルプス」
ブランクを含めて、70年あまりの歴史に
幕を下ろそうとする記録汚写真でした。
改めまして、次回は
廃止に伴って企画された
懐かしの名称列車・復活運転の汚写真を
ご紹介して参ります。
外敵との闘いに疲れ果て
腹剥き出しで眠るノンノちゃん。
2000年7月頃。
今日はこの辺りで失礼します。