1996年鉄道汚写真最終回 新幹線0系・100系・300系 その他イロイロ
ナゲノマスク製作の話しを書いた途端、
某国総理大臣が自ら(ではないか)考案した「アベノマスク」
着用するのをやめてしまったではありませんか!
余ったマスクを国民に押しつけようとして、自分だけちゃっかりしてますね!
幸い予約が入ってないので、ナゲノマスク&ナゲノクツシタ
配布を中止することに決定しました!
それにしても、新しいナゲー様式が始まったのに、
またまた新型コロナ感染者数が増えてますね。
こうなったら、何でも新しくしないといけませんね。
まずは、テレビ業界から。
大河ドラマが延期になったりしてましたが、
どんなドラマも、マスク着用で撮影・放映するのはどうでしょうか?
特に、時代劇なんか、マスクしながらチョンマゲとか、
メチャクチャ面白そうなんですけど。
「貴様、マスクしないなどとは、不届き千万!そこへ直れ!成敗してくれるわ!」
(必殺ますく人・ますくん坊将軍・銭形ますく・ますく越前とか・・・)
恋愛ドラマなんか、特にいいですね!
マスクしながらキスシーンとか、
フェイスガードして濡れ場シーンとかヤバイですね!
「マスクしない人なんて、ワタシ信じられない!サヨナラ!」みたいな・・・。
有名な恋愛マスクドラマは・・・・
「花よりマスク」(花見禁止ですね)
「マスクバケーション」(休みはマスクをしましょう!)
「東京マスクストーリー」(今でも通用しそうなタイトル)
「世界の中心で、マスクを外す」(ダメでしょ!)
「101枚目のアベマスク」(そんなに要らんわ!)
「ビューティフルマスク」(そんな素晴らしいマスクが!)
「おっさんずマスク」(ナゲーがマスクすると、おっさんずマスクになります)
皆さんのご指摘で、ナゲノマスク断念するナゲーです。
(ホントにやったら、ナゲー国民から命狙われるわ)
ということで、批判殺到ナゲノブログ
本日も批判を叱咤激励と受け止めて進めて参ります。
(実に都合の良い脳の持ち主ナゲー)
今回は、早いもので、1996年版最後の鉄道汚写真
ご紹介して参ります。
マスク着用でご覧下さい。
1996年10月31日。
この付近も。上下線が別れて走る部分があります。
こちらは名古屋方面の上り線。
近くに踏切があって、トンネルドビューンが撮影できます。
JR東海さん「117系・快速」
ヘッドマークが付いていましたので、
トンネル内では浮かび上がります。
後ろはこんな感じ。
邪魔な電線とかあって、ちょっと苦しいです。
(ナゲー自体がジャマなんですけどね)
ちょっと関ヶ原寄りへ移動すると、
山腹のお墓へ行く道が現れますので、
登っていくと、新幹線と交差する場所に出ます。
下り列車の「489系・特急しらさぎ」
欲張りナゲーは、いつも後ろも撮ります。
フツーの形の「485系特急しらさぎ」も。
この場所は、かつて「新幹線妨害事件」があった場所。
夜中に犯人が、新幹線の線路に進入して、
金属製の鎖を線路に巻いたり、ボルトを緩めたりした事件が発生
(決して、ナゲーではありませんので・・・・違います。やってない!)
それ以来、監視が非常に厳しくなり、
現地到着してウロウロしていたナゲーは、
その約15分後に来たJR東海さん監視員に、
「何やられて居るんですか!」
(ヤバイ!犯人扱いされてる・・・)
「いやいや、写真を撮りたくてちょっと・・・・」
カメラを持っていたので、幸いしましたが、
「撮ったら、すぐにお帰り下さい。ナンバー控えさせて頂きますね」
ドマニアやってると、結構職質されるんですよね・・・。
ナゲーだけかなぁ・・・。(人相悪いし、生きてること自体犯罪だもんね)
気を取り直して、新幹線を撮影します。
今は亡き、JR東海さん「300系」
どでかい遠死熱線付きフェンスが建っているので、
(女王陛下に、しつこいな!と怒られます)
フェンスに望遠レンズをピッタリくっつけて、
フェンスの網を目立たないようにしてます。
反対側は、こんな感じ。
トンネルの名前は、まさに「山中トンネル」
(IPSの山中教授とは、たぶん一切関係ありません)
JR東海さんの「0系」が、突入していきます。
ドシドシ逝きます!
JR西日本さん「100系・グランドひかり」
2階建て車両が連続で4両連結されているのが目印。
またまた、JR東海さんの「300系」
当時は、車両バリエーションが豊富で
新幹線が楽しかった時代でした。
この辺りは、冬になるとスプリンクラーのトンネルになります。
山中トンネルから、ドピュッと飛び出す
(表現がイヤラシイですね。人間性を疑います)
JR西日本さんの「0系」
西日本さんは、車体横に大きく「JR」マークが貼ってあります。
こちらはJR東海さんの「0系」
全く見分けが付きませんね。
編成番号が運転台窓に書いてあるので、
拡大して調べます。そんなことしてどーすんの?
という感じですが、ドマニアナゲーには、これが重要なんです。
(ただの自己満足です)
架線が被っちゃって、痛い汚写真ですが
2本しかレンズ持ってないナゲーにはこれが限界。
1996年11月14日。
381系サヨナラ撮影をして、ちょっと寄り道。
JR東海さん「165系」
どうしても、走っている「スカ色」電車を撮りたくて。
来ました!これが撮りたかった!
JR東日本さん「115系」
「山スカ」と言われたこの塗装、すごく大好きでした。
(ナゲスカは、ナゲーがスカって事です)
この出会いから、次にスカ色を撮るまで、
十数年の間が空く事になります。
1996年11月15日。
お馴染みの「6000系」イラスト入りの系統板付き。
各務原線 高田橋~新加納間。
側窓が固定型の「6000形初期車」
愛知万国博覧会誘致のPR板を付けております。
愛知万博は2005年に開催されました。
この時、まだ9年先。
(その日暮らしナゲーには、想像できない先)
1996年12月11日。
ブルートレイン全盛時代を彷彿とさせる
JR西日本さん「EF65形1000番台+20系寝台客車」
これでヘッドマーク付いてたら完璧なんだけどなぁ。
オデコがツルツルですね!
まるでナゲーの頭を彷彿とさせる光景!
(ホカットケヤ!ここまでツルツルや無いわ!)
1958年から製造された、当時は豪華設備で
「走るホテル」と言われていました。
(ナゲーは走ると体がすぐにホテリます。デブなので)
1997年に最後まで残ったJR西日本さんの20系が廃車になり、
今となっては、寝台列車そのものが無くなってしまいました。
長い間、お世話になりました・・・・。
1996年版・鉄道汚写真は、今回が最後となります。
お付き合い頂き、ありがとうございました。
次回からは、ネガフィルム241本目1997年版をご紹介して参ります。
(紛らわしい書き方をして楽しむ、汚性格ナゲー)
スルメで遊ばれるブーちゃん。
今日はこの辺りで失礼します。